心の学び人生訓

そして具体的に心の学びはどうしたらええか と言うことを簡素に書いておく、

まず人には優しくしてや カリカリするなよ血圧が上がるだけやで 愚痴や不足は言いなや 心を広く深くしいや 恐い顔して歩きなや 喜びと感謝をいつも忘れなや

素直な心になりや 利害で物事を考えなや 親に御先祖に孝行してやこれすら出来ない人間に幸せなどきまへん 夫婦喧嘩はしたらあかん子供に甚大な影響を与えるで 家庭はな明るく朗らかにせんとあかんよ

心を狭くしいなや了見狭い人間はロクな人生は送らんよ 吝嗇家には絶対になりなやお金は一時や心は永遠や を忘れなや

外見なんか気にしいなや 心が美しい者は外見も美しい 人の悪口は言いなや天に唾を吐いてるようなもんや

上手くいかない人生は誰でもや周りのせいにしいなや 善いことは周りのお陰、悪い事は自分のせいやと思いや 殺生しいなやすべての命は独立してんや 人間の為になんかあらへん 

心に光を抱きや 神を当然として信じるようにな 物事の道理と常識を大切にしいや 自己中心と利己主義はあかんな身を破滅させるで

人を裏切りなや いつも笑顔を絶やさずにな 笑う門には福来るやがな 名誉や金、財産なんか作りなや百害あって一利もない

家なんか買いなや 天に立派な家があるやないか 子供を愛してな 地球や宇宙の全ての命は一つで繋がっているんや

人間はいつ臨終を迎えるかわからんから後悔せんように生きや 病気は気からやない心からや 我の強さは何の徳にもならへんよ 

順序がバラバラ書き方になってしもうたが大体こんなもんやな 又思いついたら書き足す

 

|

心と霊、そして精神がありて身体がある。

病にはいろんな種類がある、身体の病、心の病、精神の病、霊の病と様々である。人間は何処かに必ず病を持って生きている。

現実生活で一番厄介なのが精神の病であり次に身体の病である。しかし真実から言えば一番重大な病が霊の病であり心の病である。

人間は精神を病むと人生そのものが成り立たなくなる事が多い、一度精神を病むと治る見込みは限りなくゼロに等しい、

身体の病はその大小に関わらず肉体の死をもって治る、極端な話ではあるが・・・しかし霊と心の病は永遠である、

過去世でのカルマをそのまま引継ぎ現在がある、霊の性質はその格からも伺えるが過去からの集約であり結果である。

その霊が病むと悟りはおろか地下の世界にまっしぐらとなり再び光は見なくなる可能性が大である。心の病はこれも過去からの継承が大きく作用している。

それを因縁と呼ぶ

その因縁を自ら自覚し悟る事は言葉では簡単ではあるが現実は非常に難しいし厳しい、その因縁を正しく悟り消化してこその人生であるが 難しい事である。

命は過去から延々と続いている、目先を見ては治るものも治らない、死を怖れてはいけない、誰でも死ぬのである、がそれまでの生き方そのものが重要であり結果ではない、

霊の病があれば正しく悟り崇高な心をもって学べば心も正しく霊格も向上し大いなる目的が達成される、

又それが出来れば身体も癒され精神そのものも正しく修正されていく、つまり霊的修養こそが一番大切であり心の学びこそが結果として貴方を救うのである。

心ありて霊がある、精神ありて肉体がある、ということである。

|

お墓についての考察Ver2

盂蘭盆も近いのでここで少しお墓について話そう

盂蘭盆は当然御先祖の御霊を追善供養する為の期間である。家族が旅行する為にあるのではない、又この盂蘭盆のいわれは仏教のお経から出ている話で厳密に言えばさしたる重大な事ではない、

普段は忙しく御先祖の御霊を想いもせず無礼を働いているのでたまには追善でもしたらどうや という期間と考えると良い、そこで当然墓参をする人が多いので蘊蓄を話す、

一家繁栄の基礎はお墓にありと言われるほどお墓は大切である。私達が住むのを陽宅と言い御先祖の御霊を祀るのが陰宅と言う、陽陰揃って初めて正しい形となり繁栄の基礎は成ると言う

それほどお墓大切である。お墓は出来れば家の近くが良いが都会ではそれは難しいからある程度は仕方ない、田舎に行けば今でも自宅付近にお墓のある家は多い、それが理想である。

墓石は御先祖の身体とも言われているが昨今平気でそれを壊したり勝手に移動し供養もしない人間が多く居るようや 何を考えているんか知らないが馬鹿か と言いたい

お墓を建立することは人生の大事である。家の建てる費用の30パーセントはお墓に使えと言われるほどである。 形は宗教宗派により文字の彫り方や違う事がある、

お墓は無宗教墓が一番良い、子孫の事を考えるとそれでなくてはいけない、宗教宗派が御先祖を追善するのではない貴方達がするのである、それを忘れてはいかん

団地墓というのが昨今は多いが私も前に行かせて頂いたが感心せんな あれは あんなものならお墓はないほうがよい 費用を聞いたら結構高い、それなら郊外でも良いからちゃんと土地のある石で祀ってあげてもらいたい。

自分達の便利上で御先祖のお祀りを決めてはならん、墓参は毎月一回ないし何回でもよい 半年に一度とかは余りに心がなさ過ぎる、それならお墓など建立しないほうが余計な因縁を作らないからまだよい

御先祖のお祀りは心からの愛情と思いやりと誠意である、形や世間体などで建立するは言語道断である。

かの有名な占い師は嵯峨野で馬鹿広い土地にお墓を建てているが困ったものである、お墓は子孫の事を考えてやらねばならない、質素に慎ましやかに建立してあげなくては子孫が到底保つ事は出来ない、

そんな例を五万と見てきている、昔からある古い墓地の整理は余程考えて慎重にしなければ子孫断絶は避けがくなる。これも実例は多くある。

家には位牌があり外には墓地がある、これが当然の道理である、何事も分相応にしなくては家は繁栄しないと心得なくてはいけない、

|

政治家と女の甘い言葉は信用するな!

私は精神世界のプロなので政治に関しては先に言ったように特別の思いは全くないが一国民として言う

党利党略か私利私欲か知らぬが又選挙で騒がしくなる、実に迷惑な事である。国民としては義務ではあるが別に投票したい党や人が居ないのであるから迷惑なのである。

そうした人が現在では圧倒的に多い、それが無党派層なのである。政治はどの国でもそうだが大きな変革は平時には出来ないもので何かの重大な事がない限りは安穏とするのが常である。

我が国には民主主義は根付きにくく一度権力を握ると了見が狭いから目先しか考えぬし考えられぬ、島国根性というものである。

国の代表は国民の意思が反映している人でなくてはいけない、それが真の民主主義だと素人だがそう思う、

政治の群の中から代表を勝手に決めてそれを国民に選べ!と押しつけているのであるから何処が民主主義か 笑わせる

この国に真の民主主義が訪れるのはまだ100年はかかるな 真の政治家はそうした時代背景を踏まえて生まれてくるものである。現在の政治家は最低の集まりで話にもならん

現在の政治家と名乗る人間の観相を観てこれは・・・と思う人間は一人でもいれば救いだが一人も居ない 見事に馬鹿とお人好しと苦労知らずと私利私欲の集まりである。

昔から言うやろ 政治家と女の甘い言葉は信用するな! と

|

身の回りくらいは綺麗にしろ・・・

私は仕事柄相談依頼者のお宅にお邪魔する機会が結構ある、そこで一言、申し上げる、

汚いな 綺麗にしようか 整理整頓くらいはしようか 何やなこれは 家か豚小屋か んなことを言ったら豚が怒るよ 豚は綺麗好きな動物やからな

と言うことになる、清潔感溢れる綺麗な家は昨今は滅多にないな 昔は家は貧しくとも家の中はどの家もわりと清潔で片づいていたもんや

それがどうやな最近は、家は立派やが家中は実に汚い まるで雑草や 相談依頼する前に身の回りや家を片づけようか 掃除をしよか

なら案外悩みは解決するかも知れんよ ほんまに

特に台所の不潔なのは言語道断やな 洗わずにほってある食器や食べ残しなどが散乱するに至っては話にならん

私はいつも言う 身の回りや片づけすらしない出来ない者に人生の幸運は来ないとな 最低限のモラルやこんなものは 特別にピカピカにしろと言うんやない 最低限の状態にしろと言うんや

男や女に限らず独身や既婚者に限らずや 綺麗にしようか せめて自分の周りくらいはな、それで外で綺麗事を言ってても通じないよ 全く 呆れるわ 最近の人間は

自分の家や身の回りくらい綺麗に出来なくてどうして心の整理整頓が出来るんかいな こんな事は真理以前の常識や

|

«真の信仰心を持て!