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2009年7月

それでこその家族である。

人の身体は神に似せて作らせてあると言う、霊魂も神からの分け御霊であると言う、それは信仰などは関係ない話で真実であると言う、

さもありなん、人間の顔や相や所作や言動を詳しく観察すればその人の持つ霊格や人格、性質や心や性格までもが解る。

病気にしても身体から気を発して知らせている、それが観相にも出ていて正確に分かる、最近顔色が悪いな 日焼けか いいや日焼けにしては黒ずんでるな とかで誰でも解る

肉体や精神の異常は即 気に表れていてそれを正しく観ればどの程度かが知れる、それは占いでも心霊でもなく科学的根拠に基づいている。

相談者で肉体の異常か精神の悩みかは観れば即解るし性質や性格も程度も分かるので相手の意志に従ってお答え申し上げている。

相手の意志とは相談者が望む問いに対してや 施し 浄めである。押しつけは断じてしない、それは誤解が生じて間違うと何をしているか分からなくなる為である。

より慎重に相手に合わせて話をさせて頂く、それほど分かっていても人様の為に努めを果たすのは難しい事なのである。

家族は身内の誰かが顔色や気色が悪いと感じたら躊躇なく言ってあげなくてはいけない、顔の表情が良くないと感じたら話を聞いてあげなくてはいけない、

家族は何のために一緒に居ているかを考えなくてはいけない、それでこそ家族である。

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物の見方考え方を変えれば・・・

この世界は理不尽な事や考えられない事がある、理屈では判断出来ない事や、正しい事が通らず間違いが平気で横行したりする。

誰が正しくて誰が間違いかは目先だけの判断では正しくは分からない、そんなアホな! と言うことも結構多い、

しかし世の中の摂理は厳正で狂いがないと神が仰せになっていられる通り間違いは実際はない、何事も偶然はなく理不尽に見えても真実を知れば納得出来る。

近視眼的な見方や考え方、自我での物の見方考え方では正しい判断は出来ていない、その心を正しくさせるのが心の有り様である。

理不尽や馬鹿な話でも真実は違うと理解すればそれは理不尽ではなく道理となる。そのような見方や考え方を学ぶ事により人間は進化する。結構自分の事となると難しくはあるが・・・

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盆の間は・・・

先に申し上げた如く 現在は盂蘭盆であり八月は旧盆になり多くの会社が休みとなり又民族大移動が始まる、

田舎に帰省し墓参に行かれるのは大いに結構であり喜ばしいことである。が海外や供養とは何ら関係ない動きをされる方が実際は大半であろう、

難しい理屈を言うつもりは更々ないが何の為の盆であるかたまには考えなくてはいけない、子供にその風習を見せるも教育であり現実の教えでもある。

代々の伝えられている家系の約束事は子孫たる者は最低限果たさなくてはいけない、それすら忘却している輩が昨今は多い、

自分の都合でしか物事を考えないのは困ったものである、実に了見が狭く何をしに生まれて来たのか さっぱりわからん、近く自分も御先祖の御霊の仲間入りするのである。

盆は追善こそ大事でありその為の休みであることを知らねばならない、盆は御先祖の御霊が帰宅されている、誰も居ないでどうするんやな

この時期は畜生でも救われるという期間である。全ての生ある命を追善しなくてはならない、ましてや釣りや殺生事はとはなんぞや となる、古いな! やなく当たり前の常識である。

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所謂メール人格について

私は人と対話して話をしたり伺ったりするのが努めであり仕事である。が 昨今携帯でのメールが大流行で誰しも最初はメールにて対話を余儀なくされる。

それは私にとり非常に不都合な事で文字そのものが文章そのものが大の苦手なので上手く表現が出来ない、そして誤解をしょっちゅう与えている。 

メールは話さなくて済む便利なものだが反面幾らでも偽ってというか飾って話せる厄介な代物でもある。

所謂メール人格である。これには私は散々な目に遭っているので実に信用し難いといつも相談者の方にはメールは連絡程度にお願いしている。

言葉や本音を隠して飾れたり偽ったりが平気で出来るので相手が見えない 危ない危険な道具でもある。昨今出会い系サイトでの事件もあったように間違いを産みやすい実に危険な道具である。

便利はイコール不便とも言う メールで連絡頂けると霊まで来るので浄めはさせて頂くが当方はぐったりする。疲れるのであるメールは・・・

しかしメールをよくよく吟味して読めば本音がちらちらしているので人間性は出ているので全く役に立たないわけではない、

しかしメールでの人間性と現実の人間性の大きく違うのだけは如何ともし難い、害毒以外の何物でもない、それとメールをしても無視したり返事すらしない輩も結構いててこれは常識なのだがこれもモラル欠如社会の軋轢か・・・

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心と精神を強くあれ・・・

今年は長梅雨で何かと鬱陶しいがこれもなくてはならない必然なので感謝しなくてはいけない、もっとも被害に遭われていられる方には申し訳ないが・・・

仏教の世界には大難は小難に小難は無難にという話がある。信仰していればそうなるという説教だが これも一種の洗脳であり催眠である。

宗教そのものがそうしたマジックのようなものであり人の心や考え方や性格を教えにて変える要素があるのでそうした話も通用する。

昔は唱名を唱えるだけで極楽往生するとかの催眠宗教で人をまやかして多くの犠牲者をだした、現代はそれから何百年と経っているが変わったかな・・

全然変わってない、題目を唱えるだけで大難は・・・となる、何処が違っているのか 進化していないな人間は、それだけ人の不安や心配、苦しさの状態には変わりがないということであろう

罪はないな と思う、心の持ち方や考え方、普段の性格の改善などにより大きく人生が変化していくというのは真実である。がそれは別に宗教でなくても出来るし宗教そのものの功徳でも何でもない、

何かと言えば徳のお陰とか宗教に入っているお陰とかで人を先導して広めていくそれが宗教なのだが・・

昨今の人間は先の投稿でも言ったように精神が非常に脆い、壊れやすい心をしているしキレやすい心をしている、それは過去の歴史から言っても現在の人間が一番精神が脆いと感じる。

それを宗教に走ってしまうことは仕方ない事だが親からして貧しく脆いので子供が逞しい訳がない、

現代人は何よりも精神と心を学ばなくてはいけない、自分の内なる敵と闘わなくてはいけない、逃げてばっかりではやがて身は滅ぶ

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心と精神を強くあれ・・・

今年は長梅雨で何かと鬱陶しいがこれもなくてはならない必然なので感謝しなくてはいけない、もっとも被害に遭われていられる方には申し訳ないが・・・

仏教の世界には大難は小難に小難は無難にという話がある。信仰していればそうなるという説教だが これも一種の洗脳であり催眠である。

宗教そのものがそうしたマジックのようなものであり人の心や考え方や性格を教えにて変える要素があるのでそうした話も通用する。

昔は唱名を唱えるだけで極楽往生するとかの催眠宗教で人をまやかして多くの犠牲者をだした、現代はそれから何百年と経っているが変わったかな・・

全然変わってない、題目を唱えるだけで大難は・・・となる、何処が違っているのか 進化していないな人間は、それだけ人の不安や心配、苦しさの状態には変わりがないということであろう

罪はないな と思う、心の持ち方や考え方、普段の性格の改善などにより大きく人生が変化していくというのは真実である。がそれは別に宗教でなくても出来るし宗教そのものの功徳でも何でもない、

何かと言えば徳のお陰とか宗教に入っているお陰とかで人を先導して広めていくそれが宗教なのだが・・

昨今の人間は先の投稿でも言ったように精神が非常に脆い、壊れやすい心をしているしキレやすい心をしている、それは過去の歴史から言っても現在の人間が一番精神が脆いと感じる。

それを宗教に走ってしまうことは仕方ない事だが親からして貧しく脆いので子供が逞しい訳がない、

現代人は何よりも精神と心を学ばなくてはいけない、自分の内なる敵と闘わなくてはいけない、逃げてばっかりではやがて身は滅ぶ

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自殺者が一万人を越えました・・・

今年も自殺者がこの時期で一万人を越えたとニュースで見た、一万人とは大変な数字でこれを漠然と見逃してはいけない、他人事と見てはいけない、

非常に深刻な事態と考えなくてはいけない、命を観る専門家たる私はこの深刻な事態を実に憂いている。

原因は明白である、先に投稿したように安定と豊かな暮らしからの破壊であり現状を打破出来ない軋轢である。又病気やいろんな原因があり因果がある。

精神的未熟がそもそも原因としてあり霊の理解と死後世界の無知、真理の欠如がある。死んだら苦しさから逃れられると考えるのは余りに短絡的であり未熟である。

それが我が国の霊的な位置でもある。精神的未熟からくる自殺が圧倒的に多い、日頃から命や生きている目的や生かされている意味、真理を少しでも知ればそのような結末になることはない、

いつも言うように真の信仰心の欠如である、命は永遠である、肉体が滅んでも人間は生きている事を忘れてはいけない、死んでも死なず生きても生きずである。

しかし死に神の取り憑かれた人を改心させるは容易ではない、これは一種の霊障であるし御先祖の加護が全くない証拠でもある。

そこに至るまでに多くの原因があり過程ががあった、それを改善もせず惰性に生きていた結末がそれである。

私は死にたい者はどうぞ と言いたいが死んでも同じやで 更に苦しさが倍加するだけやから覚悟しいや と言いたい、これも重大な因果である。

そして又子孫や自分の未来に強烈な因縁を残して行く、何をして産まれてきたのか貴方は 周りや自分を痛めつける為にのみ産まれてきたのか ということである。

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人間の習性は六道輪廻である・・・

人間は変化を好まない生き物である、安定や安心を好み惰性に生きる習性がある。それは個々の人生においてもそうである。

自らの人生にしっかりしたビジョンを持ち信念に生きる人は少ない、会社での勤務しかり家庭での自分の有り様など生活習慣というものは日々繰り返されている。

それで良いのか貴方は!

人生はそんなものやないよ 豊かな生活をしている者は天上界に居るので人生を改めて考えるより現在を守るという意識が強い、

六道輪廻を繰り返す人間は同じ失敗を何百と延々と続けている、それは惰性と安定を好む為でもある。

不遇な人生を送る者は現状打破の為に何とかと頑張っている。しかしその目的は豊かな楽な暮らしであって所詮は六道輪廻の枠を越えるものではない、

何の為の人生か 今まで何をしてきたのか その意味はと自らを問い人生の有り様を問いかける人は非常に少ない、

しかし人の為に何か役に立ちたいと念願して生きる人もなくはない、霊魂が進化してくると執着がなくなり自分より周りと視野が広くなるしそのように生きるを模索する。

我が国の国民性は未熟で人間界に住していて安定や豊かな楽な暮らし、自分だけの事などを中心に考える民族であり霊の集まりである。

これからは視野を広くし人々の為に世のために神の御役に立ちたいと思う人間を招き入れなくてはならない、その為にも現状保身より生きている目的や意義や道理を重視してもらいたいものである。

惰性と安楽、豊かさの追求、吝嗇や了見の狭さは霊魂の進化の阻害である。広く深く世の実相を鑑みてもらいたいものである。そのような人の集まりを浴するのである。

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まさか我が身に・・

今年の梅雨は長くて豪雨で被害が多く出ている、亡くなられた方も居られる、痛ましい事である。

天災は忘れた頃にやってくるとはいえまさか自分の身にとは誰も思わない、それが人生の怖さであり因果律の正確さでもある。

ニュースを見ていると痛ましい災害や事件が後を絶たない、世界のニュースを見ていても同様である。

人間をしている限りはいつ何時の覚悟が本当に求められる所である。

まさか我が身に・・はこの世界は通用しない、

亡くなられた方が霊世界に無事に入られるように祈る!

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百の説法より一つの事実

私の仕事は相談依頼者の方々の御役に立つことであって話はその為でなくなてはならない、学者でも宗教家でもない あくまで現実の問題を解決へ導くのが私の努めなのである。

理屈や論は全く必要ない どうすれば目の前の人の困り事を解決出来るか が私の生命線である。作戦参謀でもあるが最前線の指揮官でもある。

貴方の悩みのほんの少しでも御役に立ちさえすれば私の努めは成就される。その為に多くの霊が協力してくれている。

実に多方面に渡っている 人の悩みの原因は・・・それを解き明かして光の方角に導く 何よりも相談者各位が楽になって頂ければ無上の喜びである。

少し宣伝的になってしまったがそういうことである。

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悩みの根元は心と霊にあり・・・ 

私の努めは心と霊のカウンセリングである。

霊能者ではないが幅広く経験があるので浄めは当然、心の悩みや霊的事柄について相談を受けている。

別に難しい話ではない、占いではなく霊能者の鑑定でもなく人生相談の精神世界版でもあろうか

あらゆる物事は心と霊が絡んでいる、問題を精査し鑑みれば自ずと原因は知れる、偏見なく私見なく相談依頼者の立場になりお答え申し上げている。

一人で悩む事なく何でも言ってきない、誠意をもってお相手申し上げる。

人は心で物事を考え思いを巡らせてから行動に移る、心と頭で設計図を描いてから具体的に動く それが物事の真実である。その心が正しくなければ間違った方面に行くのは自然の成り行きとも言える、

心の中身と霊との関わりは大きい、霊体は本体であり過去からの様々な人生を記録していて貴方の人生の設計図を作り出している張本人である。

それを心へ伝えて貴方が思い描くという段取りになる。その結果が貴方の現在に反映している。現在の貴方を観れば心が知れるし霊体の格が知れる、

悩みの根元は心と霊にあり である。

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因縁の出やすい性格は・・・

因縁の出やすい性格や心、状況について少し考察を・・・

まずは御先祖のお祀りの状態、御先祖の霊世界での有様が問題やな それは家系に関しての因果やが

個人の過去からのカルマを出やすくする心や性格は長年の経験から言うのであるが 気の短さや了見の狭さからくる怒りの心、イライラが激しい、自我心が非常に強い、優しさや思いやりに欠けている、

裏腹のある性格と心、吝嗇家、利己主義と身勝手な御都合主義の性格、欲得でしか物事を考えぬ人間などは因果は非常に出やすく何が起こっても不思議ではない、

現に問題が多い人はこれに必ず該当する。そんな誰でもあります と言われるだろうがだからこその人生と知れ!

何の為の人生か 欲得や自らの幸せの為だけの人生か 人生は服役と心得よと言うとる。罪人扱いではないがそれに限りなく近い、

謙虚な素直な犠牲的心を有していなくては学びの人生は達成されず過去からの繰り返しを今回もする羽目になっていると言うことである。

いろんな悩みや問題は先に言った因縁が出やすい性格や心に起因している事が多い、それを我が身に当てはめて素直に反省し改める努力と謙虚さがあれば因縁も出てこなくなり消滅していくだろう

自分を戒めて行くことは難しいがしかしそれをしてこその人生である。それを忘れてはいけない

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地球の破壊者たる人間は・・・

地球は生きている、横暴なる人間には怒りを持っている。温暖化は無論 自然破壊や様々な形での破壊を続けている。

これを地震や戦争飢餓などでの人間の粛正をしている。地球の資源や自然は地球の生き物全部の共有であり財産である。

人間の勝手にして良い道理はない、人間は自らの欲の為に犯してはならない領域まで侵して地球を破壊している。

これは未来に重大な出来事を呼ぶ事になった、それは何かは分からないが地球規模の大災害であろう 何十万何百万の人がなくなる、

地球自身がバランスを取る為である。それを過去から幾度となく繰り返してきたが未だにそれが人間は分からない、

考えられない歴史にもない遠い過去に地球は何度も大爆発を起こし人間が破壊し文明や人は死滅しそれを三度も繰り返していると神は言われている、

事実かどうかは知らぬがありそうな話ではある。一人一人が自然を愛して地球を大切に労り感謝し守らねばならない、

物事は地球規模で宇宙規模で考えなくては真実は得られない、

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名付けに関して再考を・・

前にも何回か投稿している話だが今一度書く、

それは名前についてである、特に名付けている名前に関して専門的立場から申し上げる。

名前は親が亡くなっても子供は継続していくもので子供が大人になっても人に堂々と言える名前でなくてはいけない、

難しいのやら訳の分からぬ名前は付けてはいけない、これはどう読むのか分からぬとか動物や生き物に関連した名前とか組み合わせが理解出来ない名前とか親がエゴでつけているとかである。

我が国は漢字を有する国である、漢字は東洋の精神性の意味を有してそれぞれに霊気があり命を有している。

付ける名前により人生そのものが大きく変化する場合もあるのである、当然ながらそれを引き出すのはカルマであるのは言うまでもないが因を呼び込む縁になる事もあるのである。

名前は漢字の意味を良く考えて組み合わせで姓とバランスを考えて名付けて差し上げなくてはいけない、字数ではない、漢字の意味と全体のバランスである。

子供は親の所有ではない 子供の霊魂に合わせた因果の出にくい名前を付けて上げることが子供に対しての感謝であり御礼でもある。それ程名前は大事なものなのである。努々忘れるべからず。

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毎度の御先祖のお祀りについて

毎度の面白くもない話だが何よりも大事な話を一つ

御先祖のお祀りは如何に大切かを長年に渡り説き実行に移してきている。御先祖の追善供養はお寺でする事ではない、貴方がするのです。

お祀りは子孫がしないで誰がするのか! 宗教の枠に入らずお祀りはしないといけない、団体宗教は何の追善にもならない

それは自己満足以外のなにものでもない 追善供養が出来ていると錯覚させている一種の催眠術である。袈裟を着て大層にお経を唱えていれば立派な供養が出来たと錯覚させている。

それが真実である。第一霊の世界も知らない僧侶にどうして霊世界に居られる御霊を浄められるのか 考えれば分かる道理である。馬鹿げた話である。

一般人は無知であるので何も知らずそのようにするものと思いこんでいる、それが一番いけない お寺の言いなりになっている。御先祖はどうすれば喜んで頂けるかを考えるのがお祀りの基本である。

難しいお経を唱えて御先祖は喜ばれるか んなはずはないやろ 食事を差し上げて日々の祈りを御先祖に語らい幸せを祈って差し上げる それだけで御先祖は喜ばれるのである。

お金など一銭もかからぬ 貴方の真心と愛情がありさえすればいいのである。仏壇の中を飾りを見てごらん 宗教宗教している、何やなそれは・・・

貴方は強烈なその宗派の信者なれば別に間違いでも反対はしないし好きにしたらよい が事追善供養だけの信者なら馬鹿げた話である。

真実を知らねばならない それが家の因縁を消化し貴方の因縁も霊魂も浄められるのである、物事の成り行きは御先祖の有徳不徳が大きく関わっている、信じる信じないの話ではない、

私は多くの方を御指導申し上げているが成果を上げている、当然である。私の私心ではあるが真実であり何よりも御先祖の御霊を想っているからである。

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日々想念 Ver 55

人様の話を長年聞かせて頂いていると相談依頼者の現在の運気の状態や因縁が分かる。

今の貴方の運気は・・因縁は・・その話はこうなるでしょう とお答えする。当然いろんな技術を駆使するが大体は外れはない、

人間の運勢はいろんな要素で成り立っている。それを観るのが私の努めでもある。霊が憑いていれば浄めて差し上げ、因縁が出ているようなら処方を分かる範囲で教えて差し上げる。

身体の不調があれば原因を鑑みてアドバイスしてさしあげる、就職や転職、結婚離婚、子供の進学や不登校、いじめ、又は病気に関してや精神的悩みなどについて全般に渡りアドバイスを差し上げる、

これが私の努めである。昔はこのような努めを坊さんがされていたが現代の坊さんとも言える立場でもある。托鉢はしないが少しの浄財で質素に暮らし生を保つ 正に坊さんやな

相談者の立場になり我が身に変えて心配し憂いて誠意をもってお答えする。真の信仰心を心に有して押しつける事なく相談者に合わせて話をさせていただく、

よく言われます 先生はよくそれで生活が成り立ちますね と成り立ちませんよとお答えする事実であるので しかし此処まで生きているということは大丈夫と言うことかなと私は思っている。

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霊の浄めの真実と現実効果について・・

私は霊能者ではないが間違いなく霊を浄めている 毎日に

浄める場合には手から霊気が激しく出ていて手が痛い程であるので現実の証明は確かである。霊の居場所は磁場が乱れていて直ぐに分かる、

それは人の場合にも言える事で憑かれていると身体から出ている霊気が乱れている、それを整えて差し上げれば霊は浄められている。

無論、霊には独自の礼拝を施して浄める、それは立派な霊能者と言うかも知れないがそうではない、霊を観たり聞いたりは出来ない、一般の人は何かにつけて証拠が欲しいのでそうした能力者の元を訪ねて歩く、

が大きな間違いをしている。霊を浄めると見えるとは全く別の能力であるということを知らねばならない、

私は観念や想像で浄めているのではない、現実の霊気を整えている。しかし浄めたからとて病気が治ったり悩みが消えたりはしない、現実の問題とは別と考えた方が正解である。

それが真の浄めである。によって私はお金は取る事はない、現実問題に関しての効果は期待してはいけない、霊を身体から浄めると確かに楽にはなるがそれは一時的な事で又繰り返すものである。

体質なのであるからそのような人はそれを甘受しなくてはいけない、それも生きる目的なのであるから、 例外的な場合も確かにある、それは質の悪い霊に憑かれた場合であるがそんな例はごく少ない、

霊が身体の支配をするまでになっていればこれは重症で霊気そのものが憑いている霊の気になってしまっている、これは一言で言えばご本人の悟りと心と真理の学び以外に救われる可能性はない、そこまでになるとどうにもならない、何百万の浄霊費用を出そうが治らない、それが現実である。

あくまで体質の問題が大きく作用している、霊感体質か霊媒体質かで大きく変わる、又御先祖の状態そのものも大きく関わっている。

そして浄めの現実効果を期待してはいけない 霊を救って差し上げるという心がなくてはいけない、自分の因果を霊のせいにしてはいけない、誤解と間違いが余りに多く蔓延っているので敢えて申し上げる。

この話になると次から次に書く必要事項が出てくるので言葉足らずになってしまう、又次に書くことにする。 和

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お金を出せば当たるか・・・

占いや運命鑑定はある程度の範囲の料金体系を持っている事が多いですね、又霊能者ではないので余程の有名な占い師でない限りは法外な料金は取らないことが多いしね

占いは大体の相場がありますからね しかし霊能者などの相談は相場がなく取り放題の感があります。

宗教もそうですね 入信するのに教祖の書いた本を全部読んでから来てくださいと言われる、全部読めば十万にもなる。

又入信するのに互助会と称して法外な入会金を取る宗教も多い、何でもお金ですな そんなにお金がどうしているのかなと不思議に思うね

悩みやいろんな相談を受けるのにどうして費用がかかるのか常識な程度なら良いが外れている。

貴方も相談される時には方々注意されるように・・・お金は本音を表すと言います。気をつけましょう

相談される人はより確かな答えが欲しいと念願している、そら当然です。何せ悩みの渦中にある人は・・でお金も高くて構わないから当たる答えを願っている、

しかしそれが大きな誤解です、根本から間違っている、お金が高いと言うことはそれだけ金銭的な欲が深いと言うことですよ 貴方は客であり奉仕の相手ではないのです。

お金を出せば当たるし信頼出来ると間違ってもそんな誤った解釈をしてはいけませんよ

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いつもスマイルを

前の投稿に関連はするが一言

かのチャーリーチャップリンは言ったそうな 人は如何なる場合にもスマイルを忘れてはいけないよ と

その言葉には長年自らを犠牲にし反戦活動家をしてきた人生だけに重い言葉である。

最近の若者に限らないが顔が無表情が多い、無感情な表情が非常に多く居る、現代の象徴であろうか 

別に笑っていろというのではない スマイルとは微笑む事を言い 何となく柔らかな表情を言う 精神世界の観点から言っても非常な真理であり的を突いている。

人は苦しくても悲しくても辛くても変わらぬ心を持ち対人に嫌な思いをさせない気遣いがなくてはならない、又そうすることにより自身の心の学びにもなるのである。

運不運の分かれ道はそうした事から生じるのである。常にスマイルを忘れないようにしたいものである。

怖い顔して歩きなさんな 噛みつくような顔しなさんな 喧嘩腰でものを言いなさんな 福の神も近寄らないよ 絶対にな

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気楽に生きよ

人間はストレスを溜めたらあかんよ ほんまに 動物はストレスで亡くなると言われている程やからそれほど生き物にとってはストレスは怖いもんや

現代社会はストレス社会や 仕事や家庭でもすべてに渡ってストレスが生じない事は皆無やな 

ストレスはやがて身体を精神を蝕み病気になる、そして亡くなるという具合や 鬱病はストレスと言われているし病気の癌でもそもそもがストレスが真因でもある。

個々の心や性質によりストレスの生じる状況は違うは当然やがストレスはいろいろあって一概にこうやという定義はない

精神世界の観点からいってもストレスは大敵であり心の有り様に重大に影響する。それをどうするかと言えば簡単や

思うようにしようと考えなんだらいいんや 何事も不自由を常として考え 与えられた環境は自己責任と自覚してやな自らを縛る生き方をせなんだらいいんや

心の自由こそ一番大事や 気楽に生きよとはこの事や ストレスを抱えるといろんな事に発展していく事件や事故、病気家庭不和、仕事上の失敗などに大きく影響していくんや

真の信仰心があればこうはならん ここやな肝心は

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昨今の若者は・・・

私を含めた年輩の人間はよく言っている 最近の若者は男女の別なく気遣いが出来ないし気が走ってないので役に立たぬと

確かにそれはある 感情が薄くて何を考えているのか解らぬ事が多い、自分の都合でしか考えないとか優しさや愛情が薄いとか言われている。

私も元来は職人であるので人を指導していた経験があるので解るが一つの事を言いつければ次の段取りや周りの状況判断が出来ない、言いつけたらそれしかしない

ということが多々ある、新人類だそうだがそんなものは所詮苦労が足りぬだけの話で食べるに不自由なく育っているので危機感がまるでない 惰性で物事を考えるだけのことである。

若者の中でも人中で揉まれた者はやはり違っている、気遣いも神経も研ぎ澄まされている、時代が人間を作るとも言えるが要は個々の人間の心次第であるということやろ

心が寒くて冷えているからそうなる、訳解らぬ言動に走る、物事の道理が解らぬということや文句や愚痴やなくこれからの時代を形成する人間であるので周りを気遣える状況判断が出来る人になってもらいたいものであるな

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日々想念Ver53

新聞やテレビのニュースを見たり読んだりしていると暗い話が圧倒的に多い、世界的不況でこのような始末になるのだがそもそも人間はそのように出来ている、

罪障があり因果律があるので地上生活を余儀なくされている、これは一種の服役であり精算である。それを自覚し短い一生なのであるから有意義に命と向き合い生きなくてはいけない、

固い話やなく人間とは人生とはそんなもんや その中で如何に生き甲斐と信念と真実を追い求めるかにかかっているよ、

欲と自己中と御都合主義の蔓延る人間社会ではあるが世界を見渡しても我が国は恵まれている、服役でいうなれば短期の服役で済む人間が多い、

餓死したり戦争で亡くなったりテロで亡くなったりはしないのであるから恵まれているのである。幸せ感が薄いがそれは了見が狭い為であり自分の事しか考えぬからそうなるのである。

生きるとは犠牲であり自分の事はさておいて周りを生かすということに尽きる、それが命の本質である。難しく言うのではないが喜び感謝し学びなさいと言うことです。私を含めて

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霊能者の犯罪が又・・・

今日も嘆かわしい事件が発覚し逮捕劇がニュースで流れていた。霊能者の詐欺事件である。ましてや火付けとあるのでその犯罪は重大である。

そのような事件が後を絶たぬ、益々霊能者の信頼は失われていく 私が知る方も多くの霊能者にお願いし何れも効果もないのに料金だけは何十万何百万と取っていったそうであるから実に最低最悪の出来事である。

霊能者? 怪しいな と言われるのもその為である。私が霊能者にならなかったのはその為かと今は理解しているがそもそも天から与えられた能力をお金や名誉の自己欲に絶対に使ってはならない、

無償にて御奉仕してこその能力である。人より先を行く人生であるから先生なのである。人の弱みにつけ込むような悪魔の所業は許されない、

地上の霊は現実を的中させるがしかしその反面その身体を使い霊の欲を満たす事に使う、霊の能力を持つ者は余程の克己心と崇高な心を養わなくてはいけない、

同じ精神世界の人間として実に嘆かわしく哀れな者であると言わざるをえない

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今を生きる 

人間は生きてる以上は何時かは亡くなる、災害で亡くなる人生もあれば病気で苦しみながら死ぬ人生もある。

又事故でなくなる人生もあれば事件に巻き込まれてなくなる人生もある、それに自殺もある。多くの人間が日々死んでいて又産まれている。これを諸行無常とは言う

私も貴方もいつ死ぬかわからんのが人生なのである。死は怖いか 恐怖か 確かに今が消えてなくなるので恐怖と不安は誰でもある。

私のように死後世界を垣間見た者でも死は不安ではある、人は嫌な事は考えないようにしないと生きられない生き物である。が現在問答無用に死と直面している人は数多く居られる、

死は他人事ではないし縁起悪い話でもない、事実であり毎日多くの人が亡くなっているのである。その中に私や貴方が入って何の不思議でもない、

それを考えて毎日を有意義に悔いのないように過ごさないとあかんという事です。明日の保証は何処にもない 明日があると考えて計画しなさんな ないかもよ

今を生きる と言う事に尽きる、されば死は怖くなくなり悔いはなくなる。それに死は存在しない、あるのは変化だけである。肉体から霊の世界へ移行するだけの話 それが真実である。

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選挙ですな・・・

いよいよ選挙ですな 又言っては悪いがうるさいことです。 この時期だけ連呼するのも困ったもんです。

政治家は最低の仕事であると前から申し上げている通り金はかかるし人に対して平気で嘘をつきその場限りの事しか言わない、心の裏腹あって個人の名誉欲が支配している。

こんな馬鹿げた仕事を望む人間の気がしれん 最初は崇高な心と精神でとり組み初めても次第に柵に染まり身動きができなくなり自己犠牲はなんぞや となる。

こんな仕事は廃棄せなあきませんな なら誰が政治をするんや と言われればシステムそのものを変えないとあきません、後何世紀か待たないと実現しませんね 

しかし興味がなくても馬鹿らしくても一応は国民の義務ではあるので一票は投じなくてはとは思っていが・・・

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別れの辛さは言葉では言い表せない・・

三年前に私的な話しだが重大な別れがあったな、実に早いものでもう足かけ四年に入るのかと感慨深いものがある。

私の人生は良いように言えばドラマチックであり普通に言えばハチャメチャと言うことか 誰しも人生は長くしていると別れがある。

それは予期した事から突然来るものや人により様々ではある、別れは辛く心が保てなくなるので厳しいよ 私のような楽天家でもこれやからな

愛する人との別れは辛いという言葉では言い表せない日々の苦しさがあるな そんな事を多く体験しているが慣れるものやないな これは

しかし過去からの約束事でもあるので憎しみ合いや恨みがない限りは真実の世界でも再会は出来るしその場合は柵がないし金銭問題もないので楽と言えばこれほど楽な話はない、

もっともそれを受け入れる人でなくてはならないが・・・話は逸れるがこの時期は盂蘭盆であり故人が貴方の家に帰ってきているのでしっかり追善をしてあげなくてはならないな

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霊と言えば何でも否定をするな!

我が国では霊やその世界に関しては無知の国であるのでそれらの興味を持つと異端視される。

ましてや自分の子供などがその興味を示すようにでもなれば直ぐに止めさせたりするようであるな、

興味本位には確かに問題はあるが子供が霊に関心を示す事は良い事である、と私は思う、何せ人間の本来は霊なのであるから

親は霊に関して信じるとか信じませんとかのレベルで言い争いしている程度が我が国は大半である、よって理解などはまるでない 非常な後進国と言わねばならんな

霊障と言おうものならそんな事はあり得ないと一蹴されてしまう 難儀な無知や 人間は霊と身体と精神で成り立っている三位一体ということを忘れてはいけない、

肉体がある時には霊は表には出てないので自覚がないが肉体が無くなれば霊は解放されるので本来の自分に戻る、

それくらいの最低限の知識は持っておこう 常識であるよ 全く!

何でも自分が信じない事は否定するのではなく肯定してから考えれば良い、そのくらいの幅広い心は持たなくてはいかんよ

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正直者は最後には勝利する。

最近は特にだが私は思うのです、人間は正直な事が一番やと 正直者は損をする譬えの通りだとは思うがしかし正直は美徳とも言われる。

正直や素直な心はなかなか現代人には縁のない言葉ではある。その代わり腹芸は男女を問わずうまいよ 実に感心する、

一種の処世術かなとは思うが・・・私の世界から言えば二心ある者は救い難いとなる、言葉と裏腹な心のある人間は暗いよ

ほんまに 私は散々に酷い目にあっているのでそうした人間の相はよく観れるようになった、怪我の功名かな それと運不運の判断も自身と照らし合わせるし難儀な相の人間は良く解る。

こっちでああ言い あっちでこう言う はあかんよ、人間としてな、心は正直でないとな 自分の人生も正直には行かないよ 実際!

心は自由だが何をどう思うが勝手やがしかし人生は最後には正直者が勝つように出来ているんや それは確かや現実ばっかり追いかけていると素直さと正直さが失われるよ

顔がよがむよ 何処かの首相みたいにな  

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夏の怪談などをテレビで見ると・・・

夏になる前の梅雨ですね 近畿は雨が今が盛りです、鬱陶しいことですがこれは自然の恵みでもありますから感謝しなくてはなりません、最も降りすぎると被害が出ますから適当が良いのですがままなりません、人生と同じです。

この時期は又テレビで怪奇ものや怪談がもてはやされる時節でもあります、此処で一言、苦言を

見る方は興味などで見ますが霊の方は真剣です。ましてや霊には時間の概念がなく場所などの区別もないのです。それをよくよく考えて頂かなくてはなりませんな

霊感体質や更なる霊媒体質の方などは決して見ない方が賢明ですよ、でない人も気分が悪くなったり頭が痛くなったり急に首や肩こりがしだしたりすると要注意です。憑かれたかも知れません。

浄めるのに実に大変な事になります。面白がって見るような題材ではありません。テレビも馬鹿げた事をやるものです。無知は怖いですな それこそ怪談です。

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真の心の自由は真の信仰心から生まれる 

人の心は何を考えようが何を思おうが自由であり勝手である。それは肉体の持ち主に委ねられている。

しかし真実は違う、貴方の心は過去からの因果律により縛られ又育った環境や現在の状況により大きく左右されている、そこへ霊が加わり貴方の深い心に介入している。

所謂、深層心理である。なれば心は自由ではない? そうや貴方の心は自由に見えて自由ではないんや 考えや思いはいろんな事柄に影響されていてそれにより決めている。

それが本当である。心を本当に解放し自由無碍にしようと思えば深層心理まで自由でなくてはいけない、それは確固たる真の信仰心しか叶う道はない、又か と思われるだろうが

如何に真の信仰心が大切か貴方は全然分かっていない、自分の都合や勝手で物事を判断してはいけない 真理に照らして道理に叶う心でなくては真の自由な心とは言えないのである。神に対しての絶対的な信頼と感謝がなくてはならない、

であるからいろんな事件や事故、又自殺という悲惨な事に発展していくのである、一つの心の有り様が貴方の人生の行方を決めていめのである。

真の心の自由は真の信仰心から生まれる それを忘れては貴方は因果の虜となり人生の行き先は知れている。

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何で家を買うのか貴方は・・・

最近の経済不況で随分と家のロ-ンで苦しんでおられる方が多いと聞く、実に気の毒と申し上げる他はない、

一般の方にとっての家は当然買うものと相場が決まっているらしいが このような状況になると大変なことである。それと離婚での家の問題、又同居解除でのロ-ンの問題等々いろいろ生じるのが家の購入である。

人生は明日が分からぬだから人は不安があり心配がある、それは誰しも同じである。家を購入する際には無理はしてはいけない、最悪の場合を想定してロ-ンを組まなくてはならない、

そんな事は分かってるよ! と言われるだろうがこれも御先祖のお祀り不足が原因としてある。大変な代々のお祀りをしっかりしているとこうはならない、

そして自宅購入といっても所詮はロ-ンなのであり自分の所有となるのは30年も先である事を忘れてはいけない、購入予定の方はその是非は相談されたし である。

余程の慎重さがなくてはならない、因縁を観て先が危ないなどの人間は絶対にロ-ンは危険である。私は売り家には全く若いときから現在まで興味はない

自分の身体や心、人生すらままならぬのにどうして先の事まで計算して買えるかという素朴な疑問や 何で買う必要があるのか すぐに死ぬかも知れないのに 又自由が損なわれるという理由であった。

何せ現在の収入をあてにしてのロ-ンであるから浮き沈みの激しい人生人にとってはとても無理な話である。借家で結構 畳二畳あればこれ又結構である。

この世は仮の世である事を忘れてはいけない、これは理屈ではなく真実である。

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私の努めは浄めである。

私の努めは浄めである。

霊の浄め  心の浄め  身体の浄め  因縁の浄め あらゆる問題の浄め 一言で言うとそうなる。

それ以外に言葉がない、霊能者ではない、 浄めである。

すべての基本は浄めにある、浄めは愛で施し 誠意で施し 熱意で施す。

私の相談の基本は浄めである。

浄霊ではなく浄めである。 身体の癒しではなく浄めであり 心をも浄める。

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夫婦の問題は・・

相談で困るのは夫婦の問題である。夫婦喧嘩は犬も食わぬ と言われている程である。がここで私の私見を一つ

知らぬ者同士が(厳密には知らぬ者同士ではない過去世からの続きである)一緒に生活をするのであるから上手くいく方が不思議である。

信頼というまでには長年の積み重ねが必要である。隠し事は絶対にいけない 夫婦破綻の基となる。それに喧嘩はいけない 要らぬ因果を作り将来に禍根を残す、

良く語らい理解し合う寛容さと了見の広さが必要であり優しさが必要である。男は女の自由を認め女は男の本質を理解しなくてはならぬ、

そんなん無理ですわ! というならさっさと離婚しなさい、離婚は罪悪ではない 心で啀み合うほうが余程の罪悪である、子供は可愛いと思うなれば互いに理解しなさい、

寛容の精神を持ちなさい、他人同士なのであるから努力なくしては上手くはいかない、浮気性の旦那なればさっさと離婚しなさい、酒飲みや博打好きな旦那も救いはないし見込みはない、

それと最近は奥さんの浮気が多い、これもいけない それならさっさと話し合いして別れなさい、心の罪ほど重大な事はない、後生を怖れよ である。

何でも別れよと言うのではないが経済的や子供だけの理由で世間体だけでの夫婦は実際何の意味もない 罪悪があるだけである。馬鹿な話である人間は・・・

そもそも結婚に拘る自体が私は不思議に思う 難儀は人間であるな。

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老後の相談事例について

相談依頼の実例から一つ

年輩の方の相談は大まかに分けて 歳を取ってから寝込む事はないか 呆けはしないか 誰が私の面倒を見てくれるか 身体の具合はどうか などがある。

歳を取ると足腰が弱ってくる、関節リュウマチなどになり実に辛い思いをされている方を多く見かける、不思議に足を悪くされる方は惚けは少なく感じる、

惚ければ痛みはなくなるのであるから当然かも知れない、足腰は人間の基本であり万物の霊長たる資格のようなものである、それが駄目になると言うことは当然遺伝作用も大きいが

私の世界から言えば御先祖の供養不足と過去世からの罪障つまりカルマに尽きる、特に先祖代々の追善のお祀りは非常に重要である。

そして歳を取ってからの仏心ではなく一族すべてにおいての御先祖に対する誠意と愛情不足から来るのである、それが因縁である。

寝込んでから慌てて追善しても間に合うものではない事は言うまでもない、惚けもその通りで御先祖の複雑な因果関係が絡んでいて子孫を末永く護れないのが災いをしている、

それに加えて霊格の低さである。若い時からの日々の心と行いに信仰心があればこのような事にはならない、全ては誰の責任でもない自分である。

老後の面倒に拘るのは良くない、昨今はそんな若者は非常に少ないのが現実である。経済的支援がなくては面倒は見てくれないのは当たり前の社会と化している。

それなら施設に入り悠々と自適するほうが賢明である。がそれは本来の姿ではない、御先祖のお祀りと日々の真の信仰心のある家はこんな事にはならない、

身体の好不調は観相すれば即分かるが 平均寿命が伸びている現代においては医者の診断である程度は長生き出来る、が長生きも足腰が達者で惚けもなく若者に迷惑をかけなくて済むように有りたいものである。

そう願うなら普段から誠意をもって先祖代々の供養を真剣にしなくてはいけない、それは一族繁栄の基礎だからである。それと若者に好かれるような日々の行いを心掛けなくてはいけない、それが自身のカルマの消滅にもなるであるから

それは何も老後の為のみにあらずである。

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身体の病気は浄霊などでは治らぬ

前から申し上げている、霊の障りが身体の中にまでくると幾らお祓いや浄霊しても酷くなりこそすれ治る事はない、医学の力で身体を治さなくてはいけない、

それにプラス大事な事は本人の心の在処であり因果律を悟る努力である。これが正しく精査され懺悔が出来ると劇的に治る場合もある。

しかし浄霊やお祓いで治りはしない、気休め程度である。では何の効果もないか と言われれば効果はある、気休めと言っている、

気休めをすると因縁を悟れるかも知れないし心を改められるかも知れない その効果はある、があくまで霊を取り除いたら治るというような事はない、

先に言っている、物事の原因は全部自分にあると 自分が過去から何をしてきたかを考えなくては話にはならん 他の責任や霊の責任ばっかりしているようでは死が待つのみである。

徒に心霊や宗教に救いや浄霊を求める事なかれ である、貴方の悟りだけで治るのである。対外的ではない 内的な原因である事を忘れてはいけない、これがあらゆる物事の本質である。

難しい話やない 子供の病気でも親が原因している、親が間違いを悟れば子供の病気は治る、酷い重い病気は本人の因果もあり親の因果もあるので双方が共通因縁であるので親が先に悟らなくてはならない、

喘息やアレルギーなどはまさしく親の因果である。 

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精神世界随筆Ver 3

私は旧新興問わず宗教をボロカスに言うので気を悪くされている方も居られるらしい。そらそうやろな 現に入信している人はな

しかし考えても見なさい、信仰をしていてどうして政治活動をしているんやな ようく考えて見なさい、道理が成りたたんやろ 昔から宗教が政治に介入してどうなったか 

馬鹿な話である。所詮は上層部の意志が反映していて利害のみが絡んでいる。宗教は本来哲学であり道を説き示して人を教えるのみの存在である。

それを忠実に実行している団体は皆無である。人は弱いし悩みや苦しみを抱えるとどうしても救いを求める又群を組みたがる習性がある。

人間も犬やその他の動物と何ら変わりはない、心があり知能があるだけの違いであり本能は同じである。野蛮な性質はそのまま有している、

であるから悲惨な事件や騒動が起こる、人間を買いかぶってはいけない その程度である、今はな

これから何世紀にも渡り進化を遂げなくてはいけない さすれば群をなす宗教などは消えているだろう 個人尊重時代になりそれぞれの心のままに自由に生きれる時代がくる、

又霊の理解も進み現在のように異質な世界とは誰も考えないであろう 病気は七割は霊が絡んでいると言われている、これは大小の違いはあるが真実である。

旧態以前の宗教は霊を否定し新興宗教は霊を積極的に扱い商売の対象にすらしている、どうしてこんな違いが出てくるのか 疑問に感じないほうがおかしいのである。

要は自分さえ良ければの利己主義が蔓延しているからこうなるのであり未だに悪質な心霊詐欺に引っかかるのである。

毎日忙しく多忙は誰しも同じである、たまには命の真実や心の有り様や霊の事も真剣に考えなくてはいけない、それが一番の生かされている勉強の項目なのであるから 

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真理

貴方が抱える問題はすべて貴方が原因である。

貴方が原因でありすべては貴方の因果である。それは否定しても真実である。他の責任ではない、周りが原因で苦しんでいてもそれは貴方が原因である。

物事の因果律はそうしたものである、そんなアホな! と貴方は言いたいであろうがそうやない真実はな

そう悟っていくのが人生である。他に責任を押しつけるのは容易いし事実そうであるかも知れない しかし精神世界の真実から言えばそうやない

命は一つでありいろんな命も一つである、人との繋がりも一つであり相手が悪いとか自分は関係ないでは済まされるものではない、昔から言うやろ 

袖スリあうも多少の縁 とな、少しそれを範囲を広げて考えなくてはいけない、因果の悟りは考え方の根本からの転換をはからなくては出来る事ではない。

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時事放談 Ver2

どうも昨今の人間は状況判断が出来ないらしく無謀な計画で夏山で遭難し多くの死者を出した。

政治ではとどのつまり首相の資質が首相には相応しくないからこうなっているにも関わらず又下野するを承知で未だに首相を援護する馬鹿者政治家がいるから我が国は結局混乱する。

何を成すにも状況判断と的確な思考が大切でありそれは執着を離れた心がなくてはならない、それは個人にも言える事で置かれた立場や状況を的確に判断し引くときには毅然と引かなくてはならないし進むべきは如何なる批判にも耐えて進まなくてはならない、

先の首相は貴方は首相たる器ではありませんよ と烙印を押されているにも関わらず未だに私は大丈夫と根本的に誤った判断をしている。御先祖に恥をかかしているようなものである。

普通、地位が人を作るというがそうでない人間もいるようだ 謙虚さと謙る心がまるでない、こうした人間は昨今実に多くいる。経済界にもゴロゴロ居る、人間の資質とは難しいものである。自分が一番分からぬらしいな

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私的な話を少し

私的な話を少し

私の仕事に家族の理解はない、長く苦労をさせていたので当然かも知れないし霊世界や心の世界、真理の話にはまるで興味を示さない

それは身内の恥でもあるが別に御先祖を粗末にはしていない、するべきはしているようだが私の努めたる仕事には全く理解がない

私自身は何とも気にもしていないし却って楽ではある、このような仕事は私一人で十分であり後を続けさせるような仕事でもない

能力の問題もあるし気根の問題もあり自身が自覚し悟らなくては絶対に出来ない仕事だからである。いくら霊能力があろうがその心が悪ければさせない

人にも教える事はない、何分私は変人なもので・・・付いてくる人は居ない、それでも本人は結構満足している。が家族はいい面の皮ではある。申し訳ない事である。

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邪な念は邪霊を呼ぶ・・

人を憎んだり恨んだり怒ったりしてはいけない、肉体がなくなる前には特にそんな念は持ってはいけない、人間はいつ何時死ぬか分からぬからである。

身体の痛みは当然肉体がなくなれば消える、身体不自由な人は身体は元通りになる。しかし心の邪な念は肉体死後も無くならない、

人を恨んだり憎んだりしてはいけない、人を悪く言ったり思ったりしてはいけない、不足や愚痴はいけない、心の状態が貴方の霊世界の居所となる。

この世とあの世は地続きである。肉体の有る無しだけで変化があるだけである。世界の様子とシステムが違うだけである。

何でも生きている間には間違っている、過去からの続きで今を生きている事を忘れてはいけない、自分を発見しなくてはいけない、私達は人間であると同時に霊である。

地上に留まる霊は同じ念を持つ肉体を狙っている、邪な念は邪霊を呼ぶ事を記憶しておくべきである。

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霊と霊世界の話Ver2

霊と霊世界の話には人は興味をそそられるらしく更に詳しくと言う人は多い、が現実の霊世界と霊に関しての正しい教科書はない、

当然やろ 帰還した人はないからな が霊と霊世界に縁の深い因縁のある人間は少なからず体験し自分なりの世界を持っている。

それはそれで尊いとは思うが残念ながらそれが正解ではない、一種の自己満足に過ぎない面もある。

それほど霊に関しての知識とその世界に関しては正しい知識が乏しいのが現実や 

未だに地獄極楽や西方浄土思想が生きている時代でもあるのでな びっくりする私もな それには

当然、面白く興味深く書こうとすればそれは間違っていると指摘することは出来ないしこれが正しいと言える答えはないので当然の事やし書いても良いことにもなる。

が私の知る限りでは面白い事は何もない 非常な現実だけが待っている、霊や霊世界を信じない人間が我が国では圧倒的に多い 

そんな人間が正しく霊の世界にすんなり馴染めるとは正直思われん、であるので肉体のある間に自分が死んだらそれからはどうなるかくらいは学ぶ必要がある。

しかし徒にサイトを巡ってはいけない 却って真実から遠ざかるやろ 何せこの世界の業者はすべて自分が正しいと思っているからな 私を含めてな

かの昔スエ-デンボルグという方が霊界探検という本を出されていたがなかなか一言で否定出来ない真実味があった、様々な本が出版されているが全部違っている、

私も幽体離脱の体験が何度かありそれも他とは違っている、しかし現実の証はあるのでこれも真実であろう それくらい広いということであろうか、

霊界そのものを知ると言うことは又信じるということは他ならぬ自分の行き先を知ると言うことであるので価値はある、否定するのは簡単ではあるが しかし貴方も私もすぐ目の前に死が待っているかもな 

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人生つれづれ草Ver2

私は人の相談依頼をさせて頂いている、有り難いことである。が自身の因果も相当なもので鑑定でも私ほど悪い命式には未だにお目にかかったことはない、

生きているだけで丸儲けな人生である。生きるが最大の仕事と言える。所謂乞食となる相でありそれはきっちりとそうなっている。

自身が悪いだけに人の悩みや困り事、因縁は実によく分かるし対応も分かる、物事の真実を追究し続けの人生ではあるがそれは死ぬまでいや死んでからも追い続ける。

綺麗事ではないし信念だけで日々が暮らせれば良いがそうは行かぬから厄介である。人間の社会は・・・

愚痴は言うまい 喜びと感謝、奉仕の心こそ何よりも大切で心の中を澄み切って二心なしで勉強あるのみである。

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大人よ 出よと言いたい

再び政治の話を・・・

我が国の政治体系が少し変わりそうなので最近は私も注意して見ている。どうやら民主党が政権を確保しそうだが元々自民党の連中なので結局は同じと思うが馬鹿な話である。

だからおぼっちゃんに任せてはいけないと昨年申し上げたがその通りになってしまった。自民党最後の首相となり歴史に名を残すなあ あほな話や

そら自民党の若手中堅は代議士から落ちるのやから必死やわいな ベテランも今回はうかうかしてられんよ だから利害が絡んでるから茶番を演じる羽目になる。

一国の代表は国民が選んでこその代表や 党の中で選んでも何の意味もない、明治から何も変わってない、この国は 悲惨な経験を全然生かせてない、頭が良いようで悪い人間がそろってる。

どうせ選挙で負けて責任を取って辞める羽目になるのやから先に辞めておけば自身の政治生命にも生かされるのだが・・馬鹿はどこまで言っても馬鹿か・・・

あの人相ではな あかん まともな心をしてない、それは民主党も同じや どうせ長くはない せいぜい一年やろ また混乱や 我が国はこれから長い長い政治空白の時代を迎える。

情けない老人の集まりや政治の世界は ああ汚な 見てられん 哀れや心が狭く了見が余りに狭く小さい 心が貧しいよ 大人よ 出よと言いたい

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京都は祇園祭です。

京都は祇園祭で賑わっています。夏ですね

私は京都に住んで二十三年になりますが(大阪生まれの大阪育ちです)一度も祇園祭りには出掛けた事はありません。

凄い人出ですからね 人出が多いと霊的に疲れるんですよ 実際にね

人はよく言いますよね気に障ると あれです、気に障るとは自身の霊気が身体から発していてそれに人の霊気が触れるので気が障ると言うのです。

ましてや霊感体質なればなおさらです。私は導き手ですから霊の集まる場所には出来るだけ行かないようにしていますね 救いが努めでも私も容量があって最近は一杯で身体にも影響がきていますので大変です。

それが努めですから嫌ではないのですがそれは相談者に使うべきものですので何もない時は出来るだけ静かにしているのです。暗くはないですよ 明るく暢気ですから私は・・・

私は霊感体質と自覚している方は出来るだけ人出の多い場所には行かないほうが賢明です。自然の中にこそ行くべきです。

がそうでない人はどうぞ祇園祭にお越し下さい。

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日々想念Ver 51

このようなサイトを訪問される方の多くは心霊や宗教に興味があり又は入信していたり馴染みの心霊家が居たりの人が割合的には多いだろう、

貴方はそれらのサイトや団体に何を求めていられるかな 自分の悩みは無論困り事や因縁や様々な深刻な悩みか 又は興味があり自分の未来などを知りたいとか

いろいろ人により違うが目的があるだろう 私は宗教や心霊、精神世界を歩いている人間でありいろんな実体験がある、苦しさも悲しさも全て知っている。

宗教家をしていると宗教修行をしている人間には災難や遭難、事故事件病気は起こらないか? 又少なくて済むか

所謂現世利益である、誰しも内心はそれを期待している。しかし現実は厳しい、ある生きたお寺では日々教えを示し人を教化しているし又徳もあると言われている。

が実体はどうか 僧侶になった人は何十年の信者さんであるが何れも商売破綻、や離婚などごろごろいる、信者になってからである。

お寺の経営する学校では以前バス転落事故があり尊い命が何人も失われている。又ナンバーツーの僧侶は短命で亡くなり、又ある僧侶は癌で亡くなっている。

生きたお寺でさえこのような様である。罪障消滅や因縁消滅をし加持祈祷もし山に修養もしている人々がこの有様である。

つまり貴方の目的には宗教や心霊などに入ったり相談しても叶うものではないと言うことを知ってもらいたいと思っている。

現実の解決や何かの救いを求めているのであればこれは逆効果と言える、寧ろ何も知らないほうが因縁は出ないものである。

簡単に言うと何をしようがどのような勉強や努力をしようが起こる事実は必ず起こり出るべき因縁は何をしようが出るということである。病気やその他の悩みの解決にも何にもならないと言うことである。

あるのは気休めである。心の有り様の変化で捉え方が違ってきているので勘違いをしているだけである。

生き方や命について崇高な目的意識を持つ人間は宗教などには走らない 心霊などには興味は示さないものである。所詮は宗教や心霊に凝ってしまえば救いがなくなるということである。

これは私の実体験から出ている話である。生の現実である。生きる事を学ぶにどうしてお金がかかるのか知りたいものである。それが宗教の実体である。

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今日から盂蘭盆です。

今日七月十五日から盂蘭盆に入ります。御先祖の御霊を追善供養してあげてください。生と死は一重です。

生ある所に死があり死がある所に生があります。別にこの時期に限らず一年全てに御先祖をお祀りして差し上げるが子孫たる当然の努めです。

しかし何もせず自己中心に生きてばかりでは御先祖のさぞかしお嘆きと察しられます。せめてこの時期は御先祖の御霊を追善し喜ばしてあげてください。

お祀りは僧侶の仕事でもお寺さんの努めではありません、あなた方子孫のしなくてはならない大事な努めである事を絶対に忘れてはなりません。

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何事もこの世は流れがある。

この世の仕組みは何事も流れがある。宇宙、地球から自然の流れ、又国家レベルから個々の運命の流れまで大きな流れから小さい流れになって個々の運命を司っている。

これを世の摂理と言う、つまりやな 悪い事があってもいつまでも続く訳ではなく又善い事も長くは続かないという事や

個々の因縁の流れがありその因縁が善いか悪いかは別としてそれぞれの都合で流れている。流れの単位や時間は当然個々の因果律がそれに正しく沿って流れている。

今はどの流れか どの辺にあるのか 善い流れか 悪い流れか を正しく知る事が大切である。悪い流れの時にはジタバタしてもその流れが過ぎ去らねばどうにもならぬ、

善い流れの時は時間を無駄にせず勇気を持って動かなくてはならない、私はその流れを観る、個々のレベル、社会的レベルを

その流れを修正し改める作業をお教え申し上げている。それも大切な私の努めである。貴方の現在の流れは? どうかな

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儲け話には眉唾が多い・・

昨今投資やらの儲け話で詐欺に遭っている被害者を多く見る、今日もニュースで見たが額が半端ではない、

又手口も実に巧妙で引っかかりやすい、経済万能社会の軋轢やな これに引っかかりやすいのが所謂 吝嗇家と言われる人が多い

普段から経済観念が発達している人ほど引っかかるのは皮肉というしかない、お金は恐いもんや その人の本音を表すのでな

普段からのお金の生かし方や使い方を知らぬと終いにはこんな目に遭う 気をつけなあかんよ

真実世界にはお金は要らないよ 霊の徳だけや 心の徳こそが大きな財産や それを忘れてるな 昨今の人間は

儲け話には眉唾が多いと思うことや 私に限って が一番危ないよ

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先生そんなん出来ませんよ・・・

先生そんなん出来ませんよ・・・

と先の人生訓についての意見があったら一言

当たり前やろ! 出来たら天国からわざわざ苦難の人生に生まれてこんやろ 出来ないから生まれてんやがな

謙虚に謙りやな自己を見つめて一つ一つと改善してゆく努力が生きると言うことや

人間は長所短所が入り交じってる複雑な生き物やから出来るだけ長所を伸ばそうとしていけばやな短所は目立たなくなるもんや

それを悟りと言うんや 所謂到彼岸やな 難しい事はない 反省し心を見つめて自分の言動を他人の目で見ていくんや さすれば改善出来ていく 死ぬまでな 厳密に言えば永遠やが 

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心の学び人生訓

そして具体的に心の学びはどうしたらええか と言うことを簡素に書いておく、

まず人には優しくしてや カリカリするなよ血圧が上がるだけやで 愚痴や不足は言いなや 心を広く深くしいや 恐い顔して歩きなや 喜びと感謝をいつも忘れなや

素直な心になりや 利害で物事を考えなや 親に御先祖に孝行してやこれすら出来ない人間に幸せなどきまへん 夫婦喧嘩はしたらあかん子供に甚大な影響を与えるで 家庭はな明るく朗らかにせんとあかんよ

心を狭くしいなや了見狭い人間はロクな人生は送らんよ 吝嗇家には絶対になりなやお金は一時や心は永遠や を忘れなや

外見なんか気にしいなや 心が美しい者は外見も美しい 人の悪口は言いなや天に唾を吐いてるようなもんや

上手くいかない人生は誰でもや周りのせいにしいなや 善いことは周りのお陰、悪い事は自分のせいやと思いや 殺生しいなやすべての命は独立してんや 人間の為になんかあらへん 

心に光を抱きや 神を当然として信じるようにな 物事の道理と常識を大切にしいや 自己中心と利己主義はあかんな身を破滅させるで

人を裏切りなや いつも笑顔を絶やさずにな 笑う門には福来るやがな 名誉や金、財産なんか作りなや百害あって一利もない

家なんか買いなや 天に立派な家があるやないか 子供を愛してな 地球や宇宙の全ての命は一つで繋がっているんや

人間はいつ臨終を迎えるかわからんから後悔せんように生きや 病気は気からやない心からや 我の強さは何の徳にもならへんよ 

順序がバラバラ書き方になってしもうたが大体こんなもんやな 又思いついたら書き足す

 

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心と霊、そして精神がありて身体がある。

病にはいろんな種類がある、身体の病、心の病、精神の病、霊の病と様々である。人間は何処かに必ず病を持って生きている。

現実生活で一番厄介なのが精神の病であり次に身体の病である。しかし真実から言えば一番重大な病が霊の病であり心の病である。

人間は精神を病むと人生そのものが成り立たなくなる事が多い、一度精神を病むと治る見込みは限りなくゼロに等しい、

身体の病はその大小に関わらず肉体の死をもって治る、極端な話ではあるが・・・しかし霊と心の病は永遠である、

過去世でのカルマをそのまま引継ぎ現在がある、霊の性質はその格からも伺えるが過去からの集約であり結果である。

その霊が病むと悟りはおろか地下の世界にまっしぐらとなり再び光は見なくなる可能性が大である。心の病はこれも過去からの継承が大きく作用している。

それを因縁と呼ぶ

その因縁を自ら自覚し悟る事は言葉では簡単ではあるが現実は非常に難しいし厳しい、その因縁を正しく悟り消化してこその人生であるが 難しい事である。

命は過去から延々と続いている、目先を見ては治るものも治らない、死を怖れてはいけない、誰でも死ぬのである、がそれまでの生き方そのものが重要であり結果ではない、

霊の病があれば正しく悟り崇高な心をもって学べば心も正しく霊格も向上し大いなる目的が達成される、

又それが出来れば身体も癒され精神そのものも正しく修正されていく、つまり霊的修養こそが一番大切であり心の学びこそが結果として貴方を救うのである。

心ありて霊がある、精神ありて肉体がある、ということである。

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お墓についての考察Ver2

盂蘭盆も近いのでここで少しお墓について話そう

盂蘭盆は当然御先祖の御霊を追善供養する為の期間である。家族が旅行する為にあるのではない、又この盂蘭盆のいわれは仏教のお経から出ている話で厳密に言えばさしたる重大な事ではない、

普段は忙しく御先祖の御霊を想いもせず無礼を働いているのでたまには追善でもしたらどうや という期間と考えると良い、そこで当然墓参をする人が多いので蘊蓄を話す、

一家繁栄の基礎はお墓にありと言われるほどお墓は大切である。私達が住むのを陽宅と言い御先祖の御霊を祀るのが陰宅と言う、陽陰揃って初めて正しい形となり繁栄の基礎は成ると言う

それほどお墓大切である。お墓は出来れば家の近くが良いが都会ではそれは難しいからある程度は仕方ない、田舎に行けば今でも自宅付近にお墓のある家は多い、それが理想である。

墓石は御先祖の身体とも言われているが昨今平気でそれを壊したり勝手に移動し供養もしない人間が多く居るようや 何を考えているんか知らないが馬鹿か と言いたい

お墓を建立することは人生の大事である。家の建てる費用の30パーセントはお墓に使えと言われるほどである。 形は宗教宗派により文字の彫り方や違う事がある、

お墓は無宗教墓が一番良い、子孫の事を考えるとそれでなくてはいけない、宗教宗派が御先祖を追善するのではない貴方達がするのである、それを忘れてはいかん

団地墓というのが昨今は多いが私も前に行かせて頂いたが感心せんな あれは あんなものならお墓はないほうがよい 費用を聞いたら結構高い、それなら郊外でも良いからちゃんと土地のある石で祀ってあげてもらいたい。

自分達の便利上で御先祖のお祀りを決めてはならん、墓参は毎月一回ないし何回でもよい 半年に一度とかは余りに心がなさ過ぎる、それならお墓など建立しないほうが余計な因縁を作らないからまだよい

御先祖のお祀りは心からの愛情と思いやりと誠意である、形や世間体などで建立するは言語道断である。

かの有名な占い師は嵯峨野で馬鹿広い土地にお墓を建てているが困ったものである、お墓は子孫の事を考えてやらねばならない、質素に慎ましやかに建立してあげなくては子孫が到底保つ事は出来ない、

そんな例を五万と見てきている、昔からある古い墓地の整理は余程考えて慎重にしなければ子孫断絶は避けがくなる。これも実例は多くある。

家には位牌があり外には墓地がある、これが当然の道理である、何事も分相応にしなくては家は繁栄しないと心得なくてはいけない、

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政治家と女の甘い言葉は信用するな!

私は精神世界のプロなので政治に関しては先に言ったように特別の思いは全くないが一国民として言う

党利党略か私利私欲か知らぬが又選挙で騒がしくなる、実に迷惑な事である。国民としては義務ではあるが別に投票したい党や人が居ないのであるから迷惑なのである。

そうした人が現在では圧倒的に多い、それが無党派層なのである。政治はどの国でもそうだが大きな変革は平時には出来ないもので何かの重大な事がない限りは安穏とするのが常である。

我が国には民主主義は根付きにくく一度権力を握ると了見が狭いから目先しか考えぬし考えられぬ、島国根性というものである。

国の代表は国民の意思が反映している人でなくてはいけない、それが真の民主主義だと素人だがそう思う、

政治の群の中から代表を勝手に決めてそれを国民に選べ!と押しつけているのであるから何処が民主主義か 笑わせる

この国に真の民主主義が訪れるのはまだ100年はかかるな 真の政治家はそうした時代背景を踏まえて生まれてくるものである。現在の政治家は最低の集まりで話にもならん

現在の政治家と名乗る人間の観相を観てこれは・・・と思う人間は一人でもいれば救いだが一人も居ない 見事に馬鹿とお人好しと苦労知らずと私利私欲の集まりである。

昔から言うやろ 政治家と女の甘い言葉は信用するな! と

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身の回りくらいは綺麗にしろ・・・

私は仕事柄相談依頼者のお宅にお邪魔する機会が結構ある、そこで一言、申し上げる、

汚いな 綺麗にしようか 整理整頓くらいはしようか 何やなこれは 家か豚小屋か んなことを言ったら豚が怒るよ 豚は綺麗好きな動物やからな

と言うことになる、清潔感溢れる綺麗な家は昨今は滅多にないな 昔は家は貧しくとも家の中はどの家もわりと清潔で片づいていたもんや

それがどうやな最近は、家は立派やが家中は実に汚い まるで雑草や 相談依頼する前に身の回りや家を片づけようか 掃除をしよか

なら案外悩みは解決するかも知れんよ ほんまに

特に台所の不潔なのは言語道断やな 洗わずにほってある食器や食べ残しなどが散乱するに至っては話にならん

私はいつも言う 身の回りや片づけすらしない出来ない者に人生の幸運は来ないとな 最低限のモラルやこんなものは 特別にピカピカにしろと言うんやない 最低限の状態にしろと言うんや

男や女に限らず独身や既婚者に限らずや 綺麗にしようか せめて自分の周りくらいはな、それで外で綺麗事を言ってても通じないよ 全く 呆れるわ 最近の人間は

自分の家や身の回りくらい綺麗に出来なくてどうして心の整理整頓が出来るんかいな こんな事は真理以前の常識や

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真の信仰心を持て!

真の信仰心を持て!

と私は口を酸っぱくして言いたい、

物事や出来事悩みや不幸も含めてそれらに左右されぬ信仰心を持て

了見深く広く物事を見つめて悟れ

生かされている理由を その訳を

心を見つめなさい 日々の心と性格を性質を改善しなさい、

確固たる信念の信仰心を持て

現実に左右される馬鹿げた偽信仰は絶対にするな!

神は笑って私達を見つめていられる

事の善悪で信仰するな そんなんは関係ない

真の信仰心は現実とは関係ない心を養うことである、

命の真実を知ることである。

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同病相哀れみであるよ

このような努めをしていると霊能者でなくても人間の中身が分かるようになる、ましてや私は鑑定から心霊、宗教まで経験しているし独自の観相術ももっている、

相談者の方もたまにこのブログを読んで頂くようであるがそんな方にも言いたいが私は貴方を理解している、中身をな

私に出来る事は又しなくてはいけない事は道を説き善導する事ではない、貴方の悩みを少しだけ貢献する事だけである。

貴方を理解しているが故に貴方の程度も気根も知っている、真に理解出来ない話はしないし善導もしない、

貴方の分かる範囲でお答えする、病気で難儀している人があればその箇所を浄めて鎮めて差し上げる、霊が憑いていれば救って差し上げる手伝いをする。

因縁で苦しむ人あればどうすれば良いかを説明して差し上げる、仕事や家庭など諸々の所作は因果律から形成されている。

それを明らかにして差し上げれば貴方の解決法は見えてくる、がそれが分かるなれば結構だが大概は分からぬ、

だから人間は欲得のない人の話は素直に聞くべきと申し上げるのである、利己主義はいけない、了見の狭い人間は処し難い、何でも疑う人間は扱いにくい、性格の歪んだ人間には救いはない、

と言えばまともな人間は居ないのかとなるが本当に居ない、だからこうして再び再生の日々を送っている、私を含めてな 同病相哀れみであるよ

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政治の憂い

先に申し上げた如く私は政治には興味も関心もない、が時々憂うが為にこうして投稿するが他意はない、

我が国の総理は麻生さんだがこの人に限らず権力や地位にある人は大所高所から我が国の将来を見据えた施策と心が必要であり国際感覚を持って判断しなくてはならん、

がしかし一般庶民の声を聞くのも大切で自分の人気がないのを承知で原因すら探らず改めず地位に執着している図は哀れにも感じる、

所詮は苦労を知らぬおぼっちゃんである。こんな人間が一国の総理なのであるから我が国は人材も政党も全くないのも同じ無政府状態と言える

それは野党でも同じでいつも同じ顔で夢物語しか言えぬ哀れな政党でありこんな政党が政治をやりはじめたらどうなるか言わずとも結果は知れている。

馬鹿げた話である。

一国の代表は国民が直接決めなくて誰が決めるのか 真の民主主義はまだこの国にはない。

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貴方が今 成すべき事

私の元に来られる相談依頼の中で一番困るのが出口のない苦労である。

出口はあるが随分先の話で今が何ともならないから話に来られるのだが如何せんどうにもならぬ、

原因を把握しどうすれば良いのかは判断出来るがそれを今すぐ実行しても実際に影響してくるのは先になる。

その場合は励まし慰め、今は何をすべきかを御教授申し上げるしかない、徒に安易な方法を取らないように忠告もしてさしあげる。

一番いけないのは自らの苦しさの為に宗教に走る事、又霊能者に浄霊などを受ける事

これは絶対にしてはならない、気持ちは理解出来るがそこに走ってはあきません、更に問題を複雑にさせるだけである。

根本から立て直す覚悟が必要でそれは自分の事よりも子孫の為にすべきである。因果は間違いなく子孫に巡り再び苦しめる、

それにならないように今の苦しさをしっかり捕らえて後世に残さぬ犠牲的心がなくてはならない、辛くても日々苦しくてもするべき道は歩まなくてはいけない 

それが貴方の今の成すべき努めである。

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我が国は精神世界の先進国である。

最近の若者は女性化していると言われている 私達の世代からは理解は不能だがこれも時代かなと思わざるをえない、 

自由になんでもやれば良いのだが肝心の精神までなよなよしているように感じる、特に我が国では・・お隣の韓国では徴兵制度がある為に若者は兵役があり見た目もしっかりしているように感じる。

別に徴兵制度を称賛はしないが精神を鍛えるという点では正解と言える、戦争そのものは最大の罪悪行為なのでなくなる時代を待望してはいる、

それと歴史に興味を持つ若い女性が多くなっていると言う 不思議な傾向である。歴女と言うらしいが・・・それは最近の若者に男らしさが欠けている事も原因であろう

我が国は世界に冠たる精神世界の先進国であり他の追随を許さないほどのレベルである。しかそれを継承していく人間が居なくなっている、嘆かわしい事である。

芸術や宗教など精神世界の心や内面の学びは大変なレベルの国なのである。余りに外見に拘り内面の重大さを全く無視している、、

それがあるから苦境や困難に出会った時に心を正しく保てないのである。精神レベルを高める事は人生の荒波にも負けない自分を発見する事である。

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心霊カウンセラー

私達のような心霊や神霊、又は精神世界に従事する者は一種のカウンセリグを行うのであるから心理カウンセラーではなく心霊カウンセラーと言うことになる。

このような仕事は特殊な能力か精神世界の深い理解と心の有り様を知っていなくては出来ない仕事である。

その意味では心理カウンセラーより遙かに難しくレベルの高い位置に属していなくてはいけない、

しかるにいつまで経っても心霊被害や詐欺事件が横行するので社会的位置が一向に上がらない、

実に嘆かわしいことである。世の中の事は科学的に解決出来ない事が実に多く、心と霊の関係は無視出来ないのである。が科学的解釈は霊的な意味を一切排除して考える。

によって治るのも治らない事態となる。確かに心霊のみでは解決しないがそれは幅広くケースバイケースで考えなくてはいけない、

そういう意味からこの仕事に従事している私としても霊能者ではないが社会的な位置づけくらいは貢献したいと念願している。それには何よりも誠意と熱意と奉仕の心がなくては出来ないことである。

同業者の幅広い深い了見を望むものである。

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我が仕事の社会的立場は・・・

イギリスやアメリカなどの諸外国では霊や心の悩みを扱う心理カウンセラーは社会的立場を確保している、

それが我が国では無職であり社会的立場などは皆目ない、特に霊を扱う人にとっては最悪の国と言える、諸外国は霊と言う意識が幼いときから植え付けられており違和感がない

ところが我が国は未だに貴方は霊を信じますか? の段階である。馬鹿げていて話にならぬ、何か霊と言えば霊感商法や紛い物のような印象を社会全体が未だに持っている、

偏見も甚だしく無知と言わねばならない、それは霊を扱う側にも大きな責任がある、浄霊と称して法外な料金をとる輩が後を絶たない、これではそう言われても仕方ない

事実が証明しているので紛い物や怪しい物騒な人等や と言われても当然となる。自らの能力にお金を取ってはならない、あくまで困っている人に奉仕の精神を忘れてはいけない

などと言わなければならない事自体がモラルの欠如を証明している。社会的地位を確保するには科学的見地からカウンセラー的仕事を目指していく以外にはない

又立場を確立するにはこの仕事に従事している一人一人が誠意と熱意をもって人に奉仕をしなくてはいけない、目には見えない仕事にお金をとってはいけない、常識の範囲でなくてはいけない、

余りに幼稚で情けない現状である、私も含めて根本から改めない限り我が国ではいつまで立っても怪しい仕事となる。自分の子供に堂々と言える仕事にしたいものである。

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霊に憑かれない方法があれば・・

私はかねてから霊感体質でよく幽霊や霊を感じています、又最近ではよく頭が痛くなり肩や首が異常な痛さに襲われて困っています、霊感体質の何か予防のような事は出来ませんか・・・

と質問がありましたのでこの場にてお答えします。

霊感体質と言っても一概にこうだと言う定義はありません、個々の体質により違うは当然です、その体質がどういうきっかけでなったかということ 後天的か先天的かということも大事です。

この方の場合は宗教に入られたのがきっかけだそうですから後天的ということになります、宗教や心霊に興味を持たれる方は結構多く居られます。

が注意をしてください。地上の霊はそのような人間を身体をいつも探しているのです。何故なればそのような身体に憑けば救われると思っているからです。

現に私は霊媒体質の方から霊を救いますからある程度は真実です。が霊感体質の方に憑いている霊を取り除く又は浄める事は容易ではありません。

宗教で供養していただく、又は霊能者に浄霊をお願いする、と自然とそうなりますがそれが間違いです。気をつけてください。それが更に憑くのを加速します。

霊が一度でも救われたりすると我も我もとなるのは必定です。肩こりや頭痛程度ではすまなくなります。身体の内部に憑かれますとどうにもならない事が多々あります。

ではどうするか 宗教や心霊から離れてください、遮断してください。自然の景色や自然に触れる日々を心掛けてください。

へたに祈りや浄霊、供養はしてはなりません。霊感体質を忘れてしまう以外に方法はありません、体質は状況により変わるものです。

何か無策のように感じるかも知れませんがこれが最善でお金もかからず安心出来る方法です。霊能者や霊の扱う宗教などに相談されたらそれこそ言葉は悪いですがかもにされるだけです。

興味や宗教好きも程々に・・・

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日々想念Ver 50

我が家は貧乏の極にあった家庭であったが妙に明るかった、貧しい家ほど団らんがあるとは言われるがそれかな

私自身が楽天家の為でもあるがそれも家系の因縁でもあるかな 家庭は明るく笑い声が絶えない家庭にしなくてはいけない

一家の主人たる者は責任者であると同時に家庭では妻に権利を譲りニコニコしていなくてはいけない、間違っても難しい顔や怒鳴ったり怒ったりしてはいけない

妻は家庭では責任者である、一番の家庭でも影響者でありその態度と心が大きく家庭に影響する。生活上や金銭や仕事などで難しい状況でも明るく楽しくしなくてはいけない、

互いに楽しく笑い語らいする事が子孫繁栄の基となる、かの偉人の多くはこのような家庭で育ちのびのび心を自由に出来た環境があればこそである。

妻と夫が啀み合い喧嘩の絶え間ない家は昨今非常に多く、それが子供非行や精神の病気、喘息や鬱病になっていくのである。

親の因果が子に報いとはこのことである、家庭は明るく心から笑える環境でになくてはならない それでこその我が家となる、

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人生浮き草

私の人生の中でも大きな区切りの一年がこの七月で過ぎようとしている、過去から大きな節目の時期は数々あったが晩秋を迎えての節目は相当に堪えた、

若いときは勢いがあり何とか凌げたが今は元気とはいえやはり老年にさしかかっているので流石の強気の私にも弱気が出る、

しかしよく頑張った一年であった。神が御加護のお陰と感謝せずにはおれない、有り難いことである。大器晩成型という言葉があるが私の場合は大器ではないので小器最晩年型かな

お陰で大病もなくここまでこれている事には実に有り難く感謝している。人間は人生の中でいろんな節目があり紆余曲折があり難事が生じて難しい生き物である。

しかし生きているだけで大変な仕事をしていると私は思っている、生きているだけで丸儲けという言葉があるがそれは真理でもある。

貴方の大きな節目はいつ来るかはしらねども覚悟だけはしなくてはいけませんな

まだ七月は終わってはいないがこれも又楽しからずやかな

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日々想念Ver 49

今日のニュースでもあったが昔から金儲けの話にはろくな話はない、と言われているが相変わらず目先の金儲けを楽して得ようとして墓穴を掘る人が後を絶たない、

人間にとって欲は大切なパワーの源ではあるが歪んだ欲得はいけない、自らを傷つけるし周りにも迷惑をかける、

ねずみ講というような投資や投資と名をうたってはいるが詐欺もある。昨今は情報社会なので悪知恵の働く者は相手を信用させる為なら有名な会社や個人の名を平気で出す

それを真に受けて投資して終いにはドロンである、被害者は何が起こったのか当初は分からないが自分が騙された事に次第に気が付き青くなる、という筋書きである。

金儲け話にはろくな話はない、これも金銭に絡む因果ではあるが日々から吝嗇家と言われる人ほど簡単にひっかかる それは常からの金銭に対しての執着が普通ではない為である。

足下を見つめお金などは食べていければそれ以上は必要はない、お金で霊魂は成長しない寧ろ退化する。欲を出しすぎなさんな 楽して儲けようなどと馬鹿な考えを起こすのでない

そこに付け込まれるのである。それが貴方の弱みである。騙す側はプロである、簡単に騙される、私はそんな事はないと思ってはいけない、次は貴方が被害に遭うかもな

手口は巧妙になっている、気をつけることである、これも真の信仰心があればこんな馬鹿げた事には縁はなくなる。

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人生は自由である、しかし・・・

私の投稿を見ると何かすべてにおいて醒めた印象を与えるらしく何事か起こったら仕方ないとか、なるようにしか人生はならないとかに写るらしい

ではない、人間は日々の心と精神身体そして霊の成長の為に生きて生かされている。いろんな過去からのカルマを消化しつつ再び起こらぬように真因を悟り縁を生じさせないような生き方を学ぶのである。

難しい話ではない、何事か起ころうと前向きに楽天的に悲観せずに学ぶつもりで心を糾しなさい ということである。

それは宗教かと言われればそうかも知れないが団体宗教はいけない、個人の宗教つまり信仰心である。

日々の性格と性質の改善を学び勉強しつつ心を糾していくのである。そして命そのものの真実を知るのである。現在の人生が何の為にあるのか その他の多くの事もすべては意味がありそれを知るのである。

それが人生そのものである。私はこうしたい こんな生き方をしたい これが目標や と個々で人生を好きに生きればいいのである。

どんな生き方をしようが自由である、選択肢は我々にある、がしかし自由であり選択肢が我々にあるということはその人生で何があろうが我々の責任であるとも言えるのである。

自由に生きて自由にしている、それは結構だが因果律の摂理からは逃れられない事は知っておくべきである。

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貴方は死ぬが死なない・・・

前にも投稿をしたが再び同じテーマに関して投稿する。

それは何かと言えば永遠の命についてである。重い? そんな事はない、病気の末期で苦しんで居られる方や施設に入られている御老人方に対しての一言である。それと事故や事件、災害に巻き込まれた方も入る、

昔から僧侶の努めの一つに引導を渡すということがある、これは覚悟を決めさせる又は諦めさせる、又は成仏させるということである、

お寺が信者の死に際しての最後の努めでもある。が真実はそんなものやない 形だけの儀式で何の意味もない茶番劇である。

真実の引導を渡すとは 貴方は死ぬが死なないと言うことであり、肉体の人生は終わるが又霊となって生まれるのである、何も悲しむ事はなく寧ろ喜ばしいと言わねばならない、

それを末期の癌患者に言ってどうなるものではない、慰めにしか聞こえないし信じては頂けない、私はそれを常から言う 普段から命の永遠性について理解をしておきなさいと

いざ地上世界とさよならする際に引導を渡されてもなぐさめにもならないと言うことを認識しなくてはいけない、普段から覚悟しいつつ真実世界に帰っても良いように心を持ち続けていなくてはいけない、

貴方は死ぬが死なない 意識はあり続けて心は生き続ける、迷わず迎えの霊についていくように 間違っても留まってはいけない、

再生は直ぐに訪れる、再び地上に戻るのもすぐである。悲しむ間はない、御先祖と再会しそれぞれの本当の家族と再会し霊の生活をエンジョイするも良し 貴方の好きにすれば良い

それが命の永遠性である。私は死を迎える人に心から言いたい 貴方は肉体は死ぬが貴方自身は死なないから心配はないと 

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近頃の人間の顔は病んでる・・

近頃の人間はどの顔を観ても病んでるな

歩いている人や私の町で出会う人、テレビを観ていて感じる人など様々だがどの顔も病んでるよ

身体や精神、心が病んでる顔をしてる、難しい顔や愛想悪い顔、気色の良くない顔などいろいろ歩いている。

元気な心の持ち主にはとんとお目にかかれぬ、当然自然の豊富な田舎の人は健康な顔をしている。

現代人は都会人は大なり小なり病んでるよ ほんまに あんたなそんな顔をしてたらあかんよ 心を喜びに満ちた状態にしないとあかんよ

愚痴や不満、怒りや恨みなどあれば顔に出てるよ 病気顔の人も実に多く見かけるな 精神の病んでる人も昨今多いのが特徴やな

心を豊かにせんとあかんよ ゆっくりしいな 慌てなさんな 時間は平等やし 何も難しい顔して生活せんでもいいやろ

生活があり仕事があり家庭があり何かの予定がありで人間は忙しい、が何事も神の御意志や 自分のままにはならんよ 自然に任せて気楽に生きや 

明るく楽しくいつ亡くなっても後悔しない日々をな 私はそうしている。

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心の奇跡

人間は何かの深刻な問題や追いつめられた状況下では平時の思考が出来ない、それは誰しも同じで別はない、

それが次の結果に出る事になる、深刻な状況や困難な事態では考えが狭くなり所謂了見が狭くなって解決から遠ざかってしまう それが人間や

そうならないように平時から心を広く深く思考思念を正しくしないとあかん、いざという時の為に心を練って訓練しておく必要がある訳や

その意味での信仰心が必要と言うことになる、人間は苦労を重ねるとそうした心の持ち方や考え方を訓練させられて対処出来るようになる、

昨今の人間はそうした意味で苦労が足りない、で範囲を超えるとすぐにキレたり落ちたりする、如何に心が狭く練られてないかを証明している。

心の持ち方考え方一つで苦しみも楽しみになり大難も無難になる、それが心の奇跡というものや 誰しも苦労はしたくはないが常日頃から心を見つめて訓練しておけば学んでおけばいざという時に大きな力となる。

それが心の奇跡やな

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相談こぼれ話

小生の反省を込めて一言

小生は昔からこの御仕事には命懸けなので相談依頼に関して熱が入りすぎるきらいがありそれでよく誤解をされて失敗することがしばしばある。

かといって誰でもではないが特に重い方には何とかして上げたいの心が強く作用してしまう、これも時と場合があるようでどうもそれがいけません。

熱心なのは結構なのでは・・・とおっしゃるかも知れないが余りに熱が入りすぎると何か別の目的があるのでは と疑われる、馬鹿にするな と言いたいが人間とはそんなもので

他人がそこまでしてくれるとは思われないんやろ せやから誤解される。難儀な事や

ある程度の線引きをしたくはないがせんと仕方ない、了見の狭いのが原因なのだがそれがわからんよ 今の人間は・・・

動物でもあるやろ 孤島に置き去りされて食料がある土地に連れていこうとすると何か捕らえられると誤解して抵抗して逃げまくりあげくに襲いかかるというのがな あれやな

小生はこの御努めが好きでさせていただいている、ややともすると熱が入り過ぎるが別に他意はないので誤解なきように

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具体的な相談依頼について

先生の具体的な相談依頼について教えていただけませんか・・・

と質問を頂いたのでブログにてご返事申し上げる。再三書いているがどうも分かりづらいようで簡単に説明をする。

まず人事百般何でも相談あれ! 家庭や仕事、恋愛から病気、金銭などつまり人事百般である。

それにプラス、霊に関しての相談、つまり御先祖のお祀りや追善供養、それは宗教は関係ないので誤解のないようにしてもらいたい、何ぜかはブログをお読み頂くと分かる、

占いではない、霊能者でもない、つまりは精神世界のカウンセラ-というべき者である。霊の救いと身体と心と霊の浄めを施す能力を持つ、と言ったところか

小さい事から大問題まで何でも相談して頂けるとよい 私の私見を述べさせて頂く、但し決まった料金はないし任意なのでその代わりと言ってはなんだが言いたい放題は覚悟して頂く、

物事の道理と常識を踏まえて話して差し上げている。特に心と霊と因縁には重点を置いて話している。専門なのでな 悪戯な迷信や法外な料金はなし 払いたい方だけ頂く

偉そうにはしていないので安心して依頼されたら良い、誠意と情熱を持って接しさせて頂く、鑑定から心霊、宗教と何十年と歩いていて自ら辛酸を舐めた人生なので弱い痛みの心は理解出来ると自身は思っている。

コンタクトは取りにくいと言われるが仕方ない、誰も彼もは相手にはしていない、興味本位や議論好きな人は断っていて耳学問の人や心霊や宗教を知りすぎている方はお断りしている。

そんな人間は真実は得られないのでな 話しても無駄で何ともならん 現実の困っている人のみの相手をしている。独断と偏見だがこれがポリシ-なので御了承頂く、よろしく

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事象は結果が出ると解決には時間を要する。

事象は結果が出ると解決は待たねばならない、

それは病気にしても事件や事故、因縁絡みの様々な問題、霊障にしても結果が出ている以上は解決には時間を要するのである。

一度鬱病と診断されれば初期以外は三年から十年の歳月を要する、又精神的病は生涯癒える事はないかも知れない、障害を背負った人は当然一生付き合わねばならない、

物事の最初と終わりは必ずあるが時間の経過がどれくらい必要かは状況によるが解決は容易にはしないと覚悟しなくてはいけない、

安易な解決法を選ぶべきでない、何事も最初が肝心である、初期なれば早期に癒える可能性があり解決の糸口が掴めるかも知れない、が大抵はそうではない、

私が? 自分が? となるのが常であり人生は何が起こっても不思議ではないと考えておかなくてはいけない、一度問題が発生するとまずは冷静になり落ち着いて状況判断をしなくてはならない、

霊障でもそうだが軽い症状の内は良いが重くなると手の施しようがなくなる、何事も早期治療と早期発見、早期分析により適切な解決法を選択しなくてはいけない、

それを誤るととんでもない事態となる、そうなれば相当の時間は覚悟しなくては解決はしない、如何なる名医でも手術なしでは解決はしない、鬱病ともなれば向こう10年は覚悟しなくてはならない、

安易に考えれば危険を伴う 常に危機意識を持たねばならない、安易に考えるのは楽ではあるが現実は以外とそうはいかない事が多い

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善い人は少なくなったな

昨今は善いは少なくなった、表面を取り繕う善い人は多く居るが内心からの善い人は居なくなったなと実感する。

世知辛い世の中やし生き馬の目を抜く世の中でもあるしな そんな奇特な人は居ないということかな、

それは特に都会人には居ないと実感する、忙しいし暇があっても疲れてるし働き過ぎやしな、余裕が身体にも心にも金銭にもないな

それで気が付いたら歳をとり病気になり さいなら となる。何の為の人生か分からないようになるな、実際!

善い人というのはやな怒らず愚痴らず、恨まず、素直な心を持ち他を愛する心と信仰心を持ちゆっくり生きる人やな、それと欲がない人も入るな

そんな人間は都会では見たことがないがな 一昔前はそんな人も都会でも居られたが昨今ではあかんな ギスギスイライラムカつく人間が横行しとるからな 話にならんよ

全くな 私はかく有りたいとは思っているが元来偏骨で我が儘やから難しい

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霊の憑依について

貴方に霊が憑依していたら私の身体が反応するから正確に分かる、当然地上世界で憑依するのであるから霊格は低い霊と判断しなくてはならない、

憑依されている人に自覚症状がない場合は深刻である、その人の身体に憑き潜んで時を待つ、何を待つか それはその霊の目的に添った行動をさせる、

心や肉体を支配して思い通りにしていく、御先祖の霊格の低い家系では護る力が弱いので憑かれる確率が高く取り去るのも困難である。

地上霊は憑依していくのを主の目的とする。憑かれる霊にもいろいろあって一口に悪と決めつけてはならない、

貴方は霊に憑かれていると言われても驚くことはない、殆どの人が憑かれているのだから ただその人が霊感体質であったり霊媒体質であると深刻な症状となるので注意しなくてはいけない、

いたずらに霊能者の口車に乗ってはいけない、現在の問題や上手く運ばないのを霊のせいにしてはいけない、そもそも貴方の中に原因があるのであるからそうなる。

地上霊は悲しい、辛い、恨み憎しみに支配されている、又死を自覚していない霊の集合体もある、霊と呼ばれない存在もある。

地下の霊はその悲惨さは言を待たない、そのような悲しく辛い苦しい思いの御先祖を持つ子孫はそれなりの現実がある。常の心と真の信仰心の如何に大切かを知って頂きたい

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自らの信念に生きる。

私はブログでは言いたい放題の毒舌だが本当は自らの信念に基づいて生きたいと思っているいるだけに過ぎない、

自らの信念とは自身は大した学問も能力もないただの一般人と何ら変わらぬし寧ろ劣っている人間である。

些細な事でも良いから人の痛みや苦労や悲しみの御役に少しでも立てればという想いを長年持ち続けている。

それは言葉や文面にするほど簡単ではなく生活苦と闘い柵と闘いの日々であり自身の因果と相まって容易な事ではなかったし現在も闘いの日々である。

一つの目的を持って生きるは聞こえは良いが実に困難を伴う、しかし人生そのものや何のために生きて生かされているか、神の御姿や龍神などの御姿、又は霊そのものの真実やその世界を生で知られたのが一番の喜びかな と自身は自己満足している。

自己満足では話にはならないが挫けて脱線した事もしばしばで悪魔に翻弄された事もあり大幅に人生を費やしてしまった、この続きは又来世と言うことになるのかなと

思ってはいるが何とか今世に信念の証を示したいと念願している。

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今年もいよいよ盂蘭盆に入る

今年もいよいよ来週より盂蘭盆に入り御先祖の御霊の追善をする季節となった、(厳密に正しく言えば365日追善なのである)

盆のお休みは本当は御先祖の御霊の追善に費やしてこその休みである。しかるに家を空けてしまい海外などに出かけるとは言語道断の所業と言わねばならぬ、

そんな堅苦しい事を言いなさんな と声が聞こえそうだが如何に時代が進んでも人の心や霊魂の鎮魂は決して時代は関係ない、物事の道理であり当然の義務でもある。

それを放棄しての自分さえの精神では先は知れている、因縁が貴方がたを正しく精算させるであろう それほど御先祖の追善即ちお祀りは大切な事なのである。

たまの墓参りや手を合わせる程度で御先祖の追善が本当に出来ていると考えているのか お寺さんに来て頂きお経を上げた程度で御先祖が喜んでいると本当に考えているか

全く無知も甚だしい、自分さえの精神が蔓延している軋轢である。嘆かわしい事である。

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占い考査

こ゛く一般的に人気のある占い各種について私見を交えてその精度や中身を分析してみる。現在占いで生計を立てておられる方の邪魔をする気は更々ないので誤解ないようにお願いしたい、自身の経験と独断と偏見である。

まずは学問とも称される四柱推命について、

 これは非常に精度は高い があくまで生年月日と時間で鑑定するので統計学の域は出ない しかし統計学的占いでも当たる確率は他の追随を許さぬ高さを誇る 私もよく使ったが家族構成や本人の運不運はよく当たる、があくまで統計である。

次に九星気学について、これは全くの雑学的統計で精度は非常に低い、あくまで占いの域は出ない、私は全くこれを信用していない

西洋の占星術だが これも統計学ではあるが四柱推命と違い更に精度を高くしている術でその当たる確率は非常に高い、が人によりその判断が大きく変わり難解さとあいまって一般的ではない、具体的に分かり難く説明し難いので私は使用しない、

数霊学や姓名判断はあくまで数字を当てはめて判断するので統計学でも精度はかなり落ちる、あてにはしにくい術である。私は姓名判断は数字で判断はしない、全体の名前のバランスと漢字の意味を精査して判断する、これが真の姓名判断である。これはかなり精度は高い、名付けにも使用する、

次に周易である、これは統計学ではない、宇宙の事象を捉えて占う、筮竹を使い占う、私はこれと五行の相生相克とを合わせた五行易を未だに使う、非常に精度は高くへたな霊能者より正確に捉える、奥が深くて難解ではあるが占いとしてはまずは本道であろう

相学について

観相は統計学ではない 個々の心や性質、性格がよく表れていて非常に私の能力不足を補ってくれている。しかし一般的に言われている人相学とは違う事を言っておく

手相だが これは本人の性格や性情、健康などには精度は高いが何もかも手相で観るのには無理があり一部の鑑定のみに使用されるべきである。補足的占いである。

家相地相はこれも一般的統計学の域は出ず 相ではなく気を観る事により家相地相は的確に判断出来る、鬼門裏鬼門は確かにあるがこれもあくまで気学の域はでない、

風水は非常に無理があり一般には人気があるが私の見地から観れば取るに足らない占いである。

血液型はこれは言葉を必要としない 全くあてには出来ない代物である。

以上概略だが要は鑑定師の能力と術を通しての霊感が決め手になる、印相のようなあてにならない相でも驚くべき正確さで当てる人もある、それは個人の霊感である。

占いは気楽に観て頂けるし一般的には参考にすればそれでよい その程度である。私に言わせれば霊能者でも占いの域は出ないと判断している。

易にも易を司る聖霊が居られて心正しく思念し祈って占うときには間違いなく真実を得る、要は占う側の心が左右するのである。

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笑う門には福きたる・・・ 

私は人の相を観るとよく話しているが今回もその話で恐縮やが

心や性質、性格そのものの真実は実によく顔に表れている、顔形そのものであり表情や顔色も大事な要素である。

目や鼻、口も全体として鑑みる、これは占いではない、又統計学でもない、事実そのものが顔かたちに出ているということである。

私が観て大概は外れがない、事細かくは言わないが全体の人間像は正確に把握出来る。

霊格の高い人は当然ながら顔に出ているし病気の人はそれなりに出ている、よく来られるが先生この人はどうでしょうか と写真を出されて質問される事がある。

写真は非常に正確に出ていて参考になる、例えば死の淵を歩いた体験の持ち主は相に出ていてそれが分かる。

例え人相が悪くても出ている気そのものが善ければ問題はない、顔かたちが善くても目つきが悪ければ何にもならないと言える、

結婚や大事な人の写真を見てどうですかと聞かれてこれはあかんな とは言えぬ、が付き合う前であれば忌憚無く言わせていただく、

心の有り様も観相から伺える、それは実に正直に出ている、心の有り様一つで大きく人相は変化しそれが因縁も変化させるに繋がるのである。

心を穏やかに真の信仰心を養っていれば当然ながら顔に出ている、普段の心得として大事な事は笑うことである、笑う門には福きたる とは正に金言である。

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裁判沙汰は馬鹿げた事である。

私の相談者の中に裁判沙汰の方が何人も居られる、非常に残念な事である。私は裁判は嫌いである、(誰も好きな人は居ないかも知れぬが) 

金銭絡みや離婚絡み、相続絡みなど種々雑多ある、裁判沙汰はいけない、弁護士に利益をもたらすだけである。

私の経験上弁護士という人種は信用していない、あれらは善を悪とし悪を善とする、私も交通事故で(私ではない身内)悪くないのに相手がたまたま弁護士で結構名の知れた者で結局こっちが悪くされてしまった経験がある。

相手に交渉したが全く話にならずこの人種は駄目だと判断している、それを頼むのであるから無理が生じる、

裁判沙汰は自らの心労と経費など合わせればしてはいけない、損をして徳を取れと言いたい、

負けていなさい 相手の好きにさせなさい 真実と正義はいずれは分かる。馬鹿な裁判はやめなさい 大きな罪を重ねるだけである。

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私は一匹狼である。

私は一匹狼である。

若い時から運命学にしても心霊にしても宗教真理にしても誰にも従事した事はなく又教えを請うこともなかった、

独学と言えば聞こえはよいが要するに変わり者で付き合いが悪いということであろう 実践あるのみ 真剣勝負あるのみである。

当たらぬ運命学は排除し証明のない心霊は信じず、現実が善くならない真理は学ばずあくまで実践である。

とことん真剣勝負である。それだけに独断と偏見は強く、受け入れられぬ方も多いがしかし相談依頼者の利益になればそれで良いのである。

自らの希望や欲得は一切ない、食べるのも不自由しているがそれは仕方ない、こんな努めをしているとこうなる、

一匹狼は大いに結構! 神が付いていて下さっている、龍神も居て下さっている、不動明王も観音様も八百万の神々が私の教師であり心の支えである。

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善因善果悪因悪果

物事には必ず原因があり結果がある。成功者はそれだけの原因があり落伍者は又それだけの原因がある。

何事も偶然やたまたまは存在しない、その原因を作るのが人生である。過去からの多くの転生からくるいろんな結果は避けようがない 

しかし新たに善い原因を作っていけば自ずと結果は知れる、ごく普通のはなしである。現在困難の渦中にある人は過去にそれだけの原因があるのであり他の責任とかの話ではない、

善因善果悪因悪果である、これは仏教真理の占有ではない万国共通真理である。起こる事は自分の過去からの原因でありいかなる結果が生じようとそれは自らの責任以外にはない、

しかし少しでも過去の因果を抑制し結果を変えようとすれば心の学びと性質と性格の改善以外にはない、それと家系の御先祖のお祀りである。

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宗教は洗脳催眠信仰で何の必要性もない

宗教に入信している人はそうは思ってないやろが初心に返って思い出すとよい、貴方が今入信している宗教の様をよく見ていればその異様な風景に気が付かないか

大きな伽藍の中央に曼陀羅や祭壇があり本堂に入ると手を合わせて拝み祈る、ごく普通だと思っているだろうがそれは何もない一般人から見ると一種異様な風景に写る、

たまの神社仏閣の参拝はあるが入信ともなるとしょっちゅう行く事になり特別な世界に足を踏み入れている事に気が付かないでいる、

それはどの宗教でも同じで洗脳と周りの風景で信仰させてしまう催眠術のようなものである。特殊な世界それが宗教である。

私も数多くの宗教を生で知っている、いずれも異様な特殊な世界に変わりはない、宗教そのものは必要ないが人間の生き方を指導してくれる必要性はある、

それが真の信仰心であり祭壇や曼陀羅などは必要なく心の中に光を有して神の御姿を拝すれば事は足りる、

生き方の指針は真理であり道理であり道義である、物事の真実は宗教からは得られるようでいて実は得られていない、どれも我が旨が正しいと言い張っている、

それで果たして本当に真実が得られるかどうか少し考えれば分かることである。仏教でもしかりキリスト教しかりイスラムやヒンズー何れも我が正しいと争っている、

馬鹿げた話である。それで殺し合うのである。今の我が国はそんな事はしないが戦国時代はそれが日常的に行われていた、他人事ではないのである。

宗教は必要ない、団体信仰はなお必要ない 異様な特殊な洗脳催眠信仰は何の役にも立たぬ、

入信している貴方はこの当たり前の感覚すら失われさせられている事に気がつかないか

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政治家は最低の仕事や・・・

私は政治にはとんと興味はないが一言申し上げる。

自民党にしても民主党にしてもや 一体何をしてんやな 茶番劇ばっかりで人の揚げ足取りに専念している感がある。

国際的地球的宇宙的視野に立って政治を考えられんのかいな、昔は政治家は命懸けの努めであったので国民主体の政治に真剣であった、

が昨今の政治家は二世三世の馬鹿息子が後を取ってやっているだけで国民感覚からずれまくってる。何を考えてんやな

選挙ばっかり気にして機嫌取りの政治に終始して私利私欲ばっかりやがな 口は便利なもんで幾らでも言い訳や美辞麗句を並べられるわな

しかし人間観察と観相で言えば真の政治家は今は我が国には残念ながら居ない、天は必要性を感じてないんやろ

つまり誰でも務まるという事や それだけ国民が賢いという証明や 政治家などは信念思想や自己犠牲の精神がなくては絶対に踏み入れてはいけない最低の仕事や

顔を見て御覧な おぼっちゃんやら暢気な顔やら歪んだ顔やら 肥えて栄養過多の顔やらが蔓延しとるよ 情けない限りや

今回の選挙では自民党は負けるが民主党も負ける 勝ちはない で又ごちゃごちゃになる、私利私欲の茶番が又ぞろ始まる 馬鹿にしてんのかお前らは・・・

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日々想念Ver48

私のブログを初めてご覧頂き読んでくださる方が居れば思われるだろう 何やなこのおっさんは文句ばっかりと中傷だらけや と

そう感じられたら申し訳ないが タイトルにあるように毒舌と偏見と申し上げているので御了承頂きたい、

しかしいずれも作り話ではなく相談や長年の積み重ねからきている話なので嘘偽りはない、時事問題の私見は偏見に満ちているがそれは言いたい放題と勘弁願う

そもそもブログは日記とあるのでその代わりに書いている。

心霊に関して霊に関しての話はいずれも事実であり私が直接伺った話である。全部とは言わぬが気をつけなくてはいけない、

心霊でお金の話が出たらまずは金額を確かめてから決めなくてはならん、形のない御仕事であり霊障を解消したからとて現実問題が解決するとは限らないのである。

自分の事を言い当てられたからとかいろんな信用に値いする内容であっても事お金の話が出ればこれはビジネスである。この努めはビジネスにしてはいけない、

そんな業者を相手にしてはいけない、しんどくても悩みが深くてもお金で解決はしない、道理と道義を弁えていなくてはならん、

又同じ話になったがそれほど心霊や新興宗教での被害が多いということである。その一つの警報にでもなれば幸いである。

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何なりとズバリとお答え申しあげる。

私は変わり者で偏屈者である。このようなネットでの宣伝もしないしブログランクにも乗せない、

付き合いが悪くひたすら一人が好きな身勝手な人間である、神霊家を名乗ってはいるが本来は宗教家の部類に入る、

が宗教排除論者なので真理学者という所か 心霊カウンセラーであるとも言う人もある、

貴方が抱える因果を問題を平たい思考から正しい判断をしてズバリとお答え申し上げる。

それは人事百般から供養や墓場までずいっとお答えする。 お金は後払い 任意である。

払いたくなければ払わなくてよろしい 気持ちの問題である。

何なりと聞いてくるとよろしい 分かる範囲でお答え申し上げる。

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徒に霊と騒ぐことなかれ・・

貴方は霊ではないのか 

誰しも霊であって別ではない、徒に霊と騒ぐなかれ! 肉体の人生が終われば霊となる、本来の生の形に戻るだけである。

かのマイケルジャクソンの御霊も本来の霊に立ち返っただけである。

心霊と騒ぐ事なかれ たいした話ではない、人には見えない聞こえない霊や現象が見えただけでそれがどうしたんやな 大した意味はない、

それを特別視するから大きな問題になる、人間は何よりも心を大事にしなくてはいけない、

何を考え 何を思考し思念し想念を巡らせるか それが一番大事である。肉体の人生は心の人生であるとも言える、

日々の心を見つめて問い直し正しい心を養う事こそ何よりも重要で霊の話などたいした意味はない、

相談の中には多くの心の間違いから生じた問題がある。現実を動かしているのは貴方の心であって霊ではない、

心を知り学ぶ事は即ち貴方を知る事になる。

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私の人生は悲惨か

私は家族にも言われている、何かにつけて運が悪くて苦労ばっかりの何一つ良い事がない悲惨な人生やな と

しかし当の本人は以外とそうは思ってない、確かに悲惨は悲惨やが小さい時から今日まで世間的に見れば確かにそう映る、

が私の心は満ちている、よくぞ今までの人生で意義を知れて神の御姿を拝したと、人生の危機には数々救われている。今まで生きているのは神の御力以外には考えようがない、

それと現実の恵まれとは別の次元やから価値観が違うは仕方ない、第一大病もせずここまでこれているのは奇跡に近いことである。

神の御姿や御業を見せて頂いている私は何と幸せ者かと心底そう思っている。その割には努めは果たしていないのを悔いている、申し訳ないことである。

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浄霊の質問に対して・・・

一つお聞きしますが浄霊といろんなサイトを見ればありますがあれは確実に効果があるものでしょうか・・・

との質問があったので私の私見を交えてお答えします、そもそも何の目的で浄霊されるかと言うことです。簡単に言えば霊に憑かれているということでしょうが

それは如何なる現象で霊障と言われたのかが大きな問題です。その判断が間違っていますととんでも無いことになります。

心霊家に言わせれば大概は霊障と言われかねませんが霊に憑かれているという自覚は殆どないのが真実です。

明らかな霊現象や姿を見たとか確実にそうであるという証拠がない限りは霊障とは判断してはいけません。心霊家を信用し過ぎてはなりません。

一般人は霊とその世界について殆ど興味の範囲を超えていませんので無知です、そこにいきなり霊障と言われたら信用してしまうというのが恐い所です。

本当の霊の障りは生やさしいものではありません。浄霊したからとて簡単に霊は救えません、救えているように見えているだけです。

その真実の曖昧さがこの業界の泣き所です。霊能師は霊を観てメッセージを伝えるが役目であり浄霊師は霊を導くのが努めです。が確実に解決の保証はありません。

長くなりましたが効果がありますかと問われればないとお答えするしかありません。私はいろんな人や現実を知っています。残念ながら効果は期待してはいけません。

心の問題は心が解決し霊の問題は霊が解決し身体の問題は医者が解決するのです。偏った自己に固執した考えや知識は危険です。簡単に浄霊はしてはいけません。

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真の信仰心を養えば・・・

信仰すれば因縁は出なくて済むか 心掛けが良ければ因縁は出なくて済むか 行いが正しければ因縁は出なくて済むか

いいや 出るものは出る、それが因果律である。過去からの継承の人生であるので信仰しようが宗教に凝ろうが出るものは確実に出る、因果の二法は厳粛である。

災難や不幸を避けたいは人の常である。その為の宗教や心霊に凝っても所詮は無駄である。

なれば真の信仰心を養えば災難や不幸は避けられるか いいや無駄である。そんな観念では信仰はしないほうがよい、

よくニュースで見る事がある、お墓参りの道中で事故に遭うのを それと同じである、起こる予定の因縁は確実に起こる、現在は善の行為でも過去の罪障は時間と共にやってくる

この理屈をよく認識しなくてはいけない、因果律は避けられないが人生の生き方やその心を養い物事の悟り方を学べば起こった事実は避けられないがその事実に対しての捉え方が大きく変わる、

起こった不幸や災難、因縁をどう考え悟れるかで人生の意義が大きく変わってくる、その心を養うのが真の信仰心である。何事にも動じない心、常に平坦な心で有り続ける心である。

それが真の信仰心であり真理である。心の中に光を有し現実の狼狽えない心が信仰心である。目先の出来事に振り回されない心 それが真の信仰心である。

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究極のプラス思考

貴方は今何処に居てる 平原か 山の頂上か 雑草生い茂る中か 繁華街の中か 又はトンネルの真ん中か

人生は至る所にその生きる場所を選ぶ、運命も又しかりである。

苦難の時やいろんな問題で悩みの渦中にある人、因縁絡みで苦しんでいる人 実に様々である。

しかし肝心な事は常に心を明るくしプラス思考でなくてはいけない、苦難や困難時ほど明るくプラス思考しなくてはいけない

トンネルの真ん中にいてれば当然光のする方角に向かわなくては出られない理屈である。

それではアホやがなと言うやろ 違うんやなそれが この究極のプラス思考が人生を明るく生き抜く最善なのである。

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男はロマンを追い続ける

人生は儚くて脆く夢の如く過ぎ去る、

若き日は希望や幸せの指針に向かって突き進むが荒波に揉まれて流されて人はそれは夢と知る、

あくまで頑固に夢を追う者は犠牲を覚悟し自らを鼓舞し努力する、家庭と夢は両立し難い、

男のロマンは果てしなく続いていく、夢は希望であり生きる指針である。

夢は持たなくては進歩はない、儚く過ぎ去る現実の夢は泡と消える、

希望の夢は生き続けて永遠にその魂を鼓舞し続けて運を運ぶ、

男はロマンである。如何なる事にも屈せずロマンを追い続ける。

来世も又次の世も永遠にロマンを追い続ける。

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