心と体

私の不幸の原因は何だと思われますか・・・

先生 私の不幸の原因は何だと思われますか、いろんな事がありすぎます、細かく言いますと と話されたら実に一時間かかっていた。

世の中には実にいろんな人が居ると実感をされられる、未だにその点は新鮮ではある。私は答える

こういう場合は宗教や心霊、占いだといろんな事を取り上げて貴方に言うでしょう 御先祖の供養が足りない、水子の祟りか変死の供養不足、霊が取り憑いている、先祖代々の因果である とか実に答えには困らない程原因があるということである。

しかしいずれも的は外してはいない、いずれも真実とお答えしなくてはならない、が私はそんなことは言えない、貴方の為に話を聞いて差し上げて浄めてあげるだけです。としか言えない

現実は既に起こっているのであり避けられぬ事実として生活そのものを脅かして破壊せんとしている。それを今更何をしても間には合わないと申し上げる。

受け入れて因縁に流されるしかないよ しかし物事は案外な展開となる事がある。要は貴方の心と性格の有り様により不幸にも幸せにもなるという事です。

霊魂は地上に生活している人間はすべては真っ黒であり服役中と同じなのです。罪を精算中なのです。貴方はそれを早く精算する機会を得たと考える事です。それを悟ると言います。

悟りが正しければ因縁も変化します、それは事実です。心の持ちようと有り様を勉強してください。

それが出来るように私は浄めて祈ります。 と言うことです。現実の出来事は答えの結果です。それを起こったからとてバタバタしなさんなと言うことです。物事は良い意味で成るようになります。

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日々想念Ver29

昨今は何でも選べる多種多様な時代ではある。それは我が努めの仕事にも言えるな 宗教の自由は無論、心霊でも占いでも何でもありの時代である。

そして個々の秘密主義と相まって複雑な社会を形成してしまっている。個人の自由が優先され好みが優先される多様な社会である。

が 私から言わせればそれは却って個人の悩みや精神を追い込み病的な状態にさせている原因でもあると思う、

人間は何でも選べる選択出来るのは却って真実から遠ざかるだけで悩みや苦しみの本質は過去の時代から何も変わってない、

それが証拠の現代人の精神や心は実に幼稚で無知の極みとしか思えない、自らの霊魂の問いかけに真剣に答えられる人間が居ないということや

精神が貧しいのは物質万能時代の軋轢であり個人主義の弊害であり、単純な素直な生き方そのものが見失われている時代でもある。

先に投稿したように人生相談でも何でも言える時代であらねばならない 選択の自由がありすぎるとあっちこっちに回ってしまい とどのつまりにどれが真実か不明になる。

ましてや行く場所により全部違う事を言うので相談者は迷うだけである。愛ある誠意ある宗教家心霊家が今は居ないという証でもある。

相談する側に立って話をしてあげなくてはいけない、料金などは偉そうに取るものではない、迷わしているだけで何の役にも立っていないのが現実なのである。

その場の雰囲気やその場だけの納得だけになってしまっている。みずからも反省しなくてはいけない。

要はやな 相談する側には自分勝手な自己中を反省もせんと徒に人に相談するなと言うこと 自らを省みれば答えは簡単に見つかるんや 相談する側に決めさせるなと言うことや 最近の者は何でも責任転換しよるから難儀や 不都合な話は無視して勝手な態度と横着な心としかない、自分に都合よい答えしか聞かんわ 又相談される側も商売気丸出しで何でも自分が一番やと思うなと言うこと 乞食の仕事で偉そうにするなと言うことや 相手の立場になり所詮は相談者が気づく手助けをするだけの努めや 私らが決めるんやない ということやな本音は・・・

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案内をしてみた・・・

私は特殊な世界の人間ではない、ごく普通の一般人である。但し生き方が少し違っていて自分の人生ではないというだけである。

自分の人生でない理由は後日として

私に何事も相談してきなさい、人生の悩みや苦しみ困り事、森羅万象不思議相談から恋愛、やその他人事百般なんでもこい である。

精神世界のプロとしてアドバイスをさせていただく、それが私の努めである。道理と常識と真理に照らしてお答え申し上げるでしょう 

良き答えが出来るよう日夜研鑽している。未熟ではあるが・・・

少し案内をしてみた。

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宿命と運命について・・・非常に重要な話

人間の欲得やいろんな性質はすべて過去からの引継で成り立っている。それは賭事、酒乱、暴力、事故事件、家庭不和等々すべては過去からの引継である。

当然、本人の好みが入るがしかし好む原因を考えた事がおありか その心や性質は一体何処から来たのか考えた事がおありかな

んなこと自分がしたいからしてんや あくまで自分や 全ては俺が決めてやってんや と仰せであろう しかし違うのである、

霊魂は永遠と申し上げている。輪廻転生とも申し上げている。過去から実に多くの人生を経験している霊魂が貴方の主体なのである。 それをよく考えれば良い、

過去に何らかの原因がありその清算もしないままに又転生している現在があるとすれば当然精算の設定が貴方になされている、

それは必然であり自然でもある。その為に貴方は今、自分では好き放題しているように見えても実は過去からの宿題消化で動かされているということである。

動かせるには性質をそのように設定しなくてはそのようにはならないので家庭や環境までその精算設定の前提にたって組み立てられている。それが宿命であり運命ということである。

貴方は所詮は自分で生きているように思っているが実はそうではない、生かされているのである。何も反省も学びもしない為に人生の中で決済されているのである。それが貴方の現在である。

そう考えて悟ると身の回りや現在の境遇は誰の責任でもなく自らの責任であることに気がつくであろう それが真実なのである。

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葬儀に関しての考察 Ver2

先にお墓の話が出たので以前の話とダブルが再度葬儀に関しての私の考えを少し話す。

現代の葬儀は完全にビジネスであり商売である。人間は生があり死がある、これは必然である。

いかなる人間も避けられない、又死後についての考えも現在の日本では無信仰の国でもあるので宗教界の言いなりである。

葬儀に一体幾らかかるかご存じか、何百万である。戒名とやらの段階で何十万単位で価格が決まる、馬鹿か! まぬけか 何を考えてこれを決めているんやな 何の根拠かな これは

一体死後世界をご存じか 戒名は何の為か 必要があるのかを考えられるとよい、

私から申し上げれば一円のお金も必要ない、葬儀自体も必要ではない、何の為の葬儀か、

現代人は外見や見栄を重視するのでこんな馬鹿げた風習がまかり通る、精神貧困時代である。

本人はさしたる仏教徒でもないのにどうして葬儀だけ急に仏教徒に変身するのか 仮面ライダ-ではない、

物事には道理というものがある。事実に基づいて何事も行うことが大切である。

人間は肉体が亡くなるだけで霊魂は生きているし生前とさして変わらぬ、にも関わらず完全に死んだと思い葬儀している、亡くなった本人は上から見ていてこんな筈ではなかつたと悔やんでいるやろ

それが真実である。 日本では火葬が主体なので焼き場の費用と身内で写真を前にお別れ会などをして故人を偲ぶと言う程度で立派な故人に対しての追善となる。

何百万も馬鹿げた費用がどうして必要なのか 常識で考えれば分かる、弱みにつけ込む葬式ビジネスである。

お金がある人は多いに派手にすると良いが葬儀がすんでからの虚しさは家族でなければ理解は出来ぬ、派手に葬儀したからとて何の慰めにもなりはしない、一番大切な事は

人間の死後の行方を知り故人が生きていて私たちと共に居られるという事実を認識することである。それを知れば馬鹿げた葬儀など又戒名など何の意味も持たない事を知るだろう

私は別に葬儀屋やお寺に恨みがある訳ではない 真実を申し上げているだけである。霊世界も知らずお経を唱えているだけでどうして霊が救われるのか是非知りたいものである。非常にめでたい話ではある。

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介護施設の聞いた話 その実体

私の長い付き合いの方の中に看護師が居られる、非常な努力家で勉強家であり又子供も女で一人で五人を育てたという猛者でもある。その人の話ではないが

現在は介護施設の責任をしていられるが遠くからではあるが現実の介護世界の実体が垣間見れる、

一言で言うと現場は戦争で綺麗事ではない世界であると言うこと、人間は年老いるとこうなるのかと驚く話が満載である。しかしこれが現実である。

大変な過酷な労働と精神的疲労は並の根性では持たない世界である。人材不足は当然であり しかも現場の過酷な労働からは考えられぬほど賃金が安い

どういうことやと言いたいがそれが現実である、話を聞いてもそら誰も続かんわな と思う、

この仕事自体はまだ初期の段階でこれからゆっくりではあるが改善はされていくであろうがそれまでいくつの施設が持つだろうか 又人が続くだろうか 甚だ疑問である。私の妻がその仕事なれば絶対にさせてはいない

それほど過酷で厳しい ましてや施設に入所させている家族の問題もありドラマではないがまさに人間模様がそこにはある。

精神と肉体がボロボロになる仕事である。何事も理想と現実は違うが介護世界は違い過ぎるな

政府ももっと真剣に考えて取り組まないといずれ破綻の憂き目にあう 現在の施設の大半は大病院の別組織で形成されていてしかも金儲け主義であるので入所者は介護者に押しつけて算盤勘定ばっかりしとる

政府も事業者も算盤勘定ばっかりしてんと入所者の立場になり我が身に振り返り真剣に考えて施設を運営せなあかんよ 

こんな仕事は良い人材があって初めて成り立つ仕事で何よりも人材を育てることが急務となるやろ いくら施設の立派な入れ物を作っても中身が空っぽでは話にならんがな、 

人の為は我が身の為でもある 人類は家族であり身内や 身内から金儲けをしないな 情けない話や 全部がそうやとは言わぬが大体は同じや

現場で家庭を犠牲にし亭主を子供をほったらかしにして懸命に奉仕する人間の立場改善をしたってや でないと現場にはろくな人間しか集まらないようになるよ 現にそうなっている施設も多い

私は部外者なので中から見ている訳ではないので詳しくは分からぬが聞いている話ではそういうことや

人間は呆けたら終いやで たまには右脳を使いや でないと呆けて施設行きやで 今の施設は人材が居るのでまだ良いが近い将来は姨捨山になるで ほんまに

で最初の話の人には施設はもういいから辞めろと言っている、そろそろ楽をして本当に自分がやりたいことをして欲しいと心から願っている。が無理やろな 頑固やからな そうでなくては勤まらんよ この世界は

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本当の信仰心を養え・・・

私が良く人に言う話は

あんたな最低限のモラルと道理を弁えてな 信仰心を持ってその心を養いや 

と実に良く話す、がそれに尽きるんや 人はな 信仰心もないのに参拝して願い事ばっかりで神も呆れてられるわ 実際!

私が言う信仰心は上下あるよ とりあえず最低限の信仰心と深く真理を理解出来犠牲心を持てる信仰心もある

本当の信仰心はこうや という定義は当然ないが 私が思うには 信仰心はまずは自分の命と生かされている意義を知ることや

感謝と喜びを持つ心 例え病気を得ても不孝に遭っても不遇な時にでも常に有り難いと感謝の心を忘れず悟るように努めるのが信仰心や

言うやろ人は そんなんあかんわ 何で病気して死にかけてるのに神に感謝するんやな アホかいな

と それやから六道輪廻の人生が終わらんのや 彼岸に到達出来ないんや 簡単な話や

人間は悟りの為に生きて生かされている、それを望んで生まれてる筈や それを肉体を持つとカラッと忘れよるがな人間は

病気や不孝を得るからこそ悟れて霊が向上していくのやろが 心掛けが間違ってるのよ

現実ばっかりに目を向けて生きてるから何もわからんのよ 心の学びをしていけば自然と理解できるようになるよ

苦しいし辛いし泣きたいし叫びたいほど寂しい時もあるやろ 人間やからな私も同じや しかし自分はそれを望んで生まれてんやろ 与えられた勉強道具やから喜び感謝は当然や

難しい理屈やない 今に癌か何かで肉体が死滅せんとしている時にそんな話をしても意味がないやろ せやから普段から人はその真実を学び又思い出す必要があるんや

それが信仰心を養うと分かるようになるし納得出来るようになる、徒に宗教に入れば解決するような問題やない 団体で信仰して何の意味があるんやな アホか

個々の問題やろが・・・まに

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了見の狭さを考える・・・

人と話をするのが私の仕事です。それで感じますが人の了見と言いますか考えや心の受け入れられる範囲といいますかそれは個々の人生には大変重要な鍵を握っています。

了見が狭いな とよく喧嘩などをした時に言います。それは個々の性格、心の現在の範囲であり受け入れられる程度でもあります。

この了見そのものが個々の人生の舵取りをしていくのです。了見を広くすると言うことは実に難しく簡単ではありません。

ですから昔から可愛い子には旅をさせろと言う言葉があるのです。人間は未知の体験を重ねますと世界が広くなり当然心も広くなります。

自分の世界観が広がるのです。それはいろんな体験を通して初めて得られるものなのです。

文章の学問や知識では絶対に得られません。この身体の五感で感じて初めて得られるのです。

未知の体験をしてみて下さい、いろんな人の話を自然に受け入れられるような心になってください。そうすれば必ず今までとは違う人生が始まります。

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信仰的生き方五箇条

私のホームページに信仰的生き方五箇条なるものを書きましたので又御覧ください。

http://homepage3.nifty.com/kami77/ 寿法心のページ

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心の進化は信仰心から先師先哲に学ぶ

人の四苦八苦はお釈迦さまが真理を説かれた如く今更語るまでもない、お釈迦様はそれを根本から解き明かし又解決し心を平安に過ごす方法まで具体的に説かれている。

八つの正しい道と書いて八正道である。それを説明するは僧侶の仕事なので私の如く浅学な者が語るまでもないが

実際に人の相談をしているとなるほどと納得する事が多い、二千年も前に説かれている内容が現在と全く変わらないのは人間が如何に心の世界が進化していない証拠でもある。

それはイエスキリストの説かれた真理も同じである。私は現在は無宗教だが心は信仰心で満ちあふれている。

形の信仰ではなく心の信仰である。現実の生活でなくてはならない指針とでも言うべき信仰心である。

普段の心掛けを先師先哲から学ばなくては人間の進化は心の進化はない、自我と執着との生活からは何も生まれない、カルマの増産だけである。

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