日記・コラム・つぶやき

今年を鑑みる Ver2

今年も多くの著名人が亡くなった、実に多くの有名人が旅立った年である。

誰しも死は避けられぬ、人間は死に際で死に様で徳不徳が分かると言う 死ぬにも徳が必要であると言うことである。

しかし著名人だからとて一般人と何ら変わる事は当然ながらない、単なる人間である。いつかは死ぬ

しかしその人その人の生き様が一般人の人生の思い出と重なって死に際して思い出を蘇らされる。

あの時その時はそうやった、大変な時であった、とかいろんな思い出を蘇らせてくれる、昭和から平成にかけての様々な出来事の中に著名人は存在している

その意味から時代を表して個々の人生も表してくれている。私達の代表として・・・が人間には変わりはなく死は訪れる

人間は死は存在はしない 変化があるだけである。これが真実である。しかしその人生は一つの区切りとなり終える、

又新しい人生として 繰り返し人はこうして生きている。そんな思いをさせてくれる年の瀬である。

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今年の出来事を鑑みる Ver1

今年もあと二日となり少し我が国の今年について投稿する。

政治の世界では長年の自民党政権が陥落し民主党政治に代わった事が近年にない出来事ではあった。

それはアメリカでも同じ現象にて世界的な兆候とでも言えるのかな それで政治が良くなるかと言えば大して変わりはないであろう

今の我が国の政治家で人格崇高、高潔なる人物はいないからである。小さくまとまり過ぎていて大人と言える人間がいないのである。何ともならんなこれは・・・

であるので政治と暮らしは別物と言うことになる。ここしばらくは政治の世界はごちゃごちゃになり見ていられない惨状になるのは間違いない、国民こそ良い迷惑である。

人間にはいくら勉強しても本来の自分の容量というものがある、つまり度量である。大政治家よ来たれ!と願うのみである。

生活に困窮し欲がなく理想を追い裏腹のない心を有し命をかけてこそ政治家は政治屋ではなく政治家になれる。

坂本龍馬が受ける要素はそこにある。そんな人物が我が国の政治に現れれば我が国は世界に更に冠たる国になる。

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年末随想

今年の総括的な挨拶はまだ先としていよいよ終わりです。私のような自由人は年月や季節は大して気にもしませんが鑑定師でもありましたので五行の季節はやはり気にしなくてはならない立場でもあります。

それは案外と否定出来ない事もあるのです。無論信じ過ぎてはいけませんが・・・何事も勉強です。

ここ三年間は本当に良くありませんでしたので何とか来年はと期待はしています。といっても私の因縁以外は出ませんがね・・

私の仕事は儲けようとして儲けられる仕事ではありません。人々の為に尽くしてこその仕事です、人の御援助と助けがなくては成り立たない務めでもあります。

その意味から如何に真剣に如何に誠意と真実とでお応えしていくしか生きる道はないのです。綺麗事の話ではなく事実であり真実です。

日々の務めが真剣勝負なのです。特殊中の特殊な仕事です。しかし社会的には無職扱いではありますが、

しかしこれも年中仕事がある訳はありません、特に年末は厳しい事が再々です。よくここまでこれたと自身は感謝しています、いつ何時帰るか知れぬ命ではありますが何とか前向きで生きたいものです。

坂本龍馬のように死ぬ時も前を向いて死にたいというセリフで生きたいものですね。神の御加護と導きがなくてはとっくに死に絶えています。何度死んだか分からぬ命です。

是非とも来年は最後の年の覚悟で(年がら年中覚悟はしている)勉強したいですね。

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自殺者が三万人を越えた・・・

今年も何度か申し上げているが自殺者が三万人を越えた、これは飛んでもない数字である。大変深刻な事態と言わねばならない、

前から申し上げている如く物質万能の価値観が生んだ軋轢である。精神世界の無理解と心の貧しさがこのような悲惨な事に繋がっている。

自殺予備軍と言うべ人を入れるとそれこそ大変な数字になる。政府はいろいろ考えやろうとしているが所詮は無理と言わねばならない、

生きているのは本人であり又本人の因果でもある。生きるか死ぬかの選択も本人しか出来ぬ、当然いろんな原因があるがそれを考慮しても他人はどうにもならぬ

自殺の選択肢を選ぶ者は既に結果でありどうにもならぬ、都会の生活の疲れ、貧困や病気特に鬱病、死にたくなる動機は実に様々ではあるが私がいつも申し上げている如く

死ねば終わりではなく寧ろ始まりなのであると言うことである。霊魂は死ぬ事はない 苦しさと辛さは引き続きの生にて再現される、それをよくよく知らねばならぬ

自殺するという意味が本当はないのである、何の解決にもならないということである。家族を泣かせ苦しめて自分さえ良ければの自己中精神である。

お前に何が分かるのか!と言いたいであろうが死後世界を知っているからこそ声を大にして言うのである。死んでも何も解決はしないと苦しさと辛さを持続させるだけであると

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お金の苦労と精神の苦労

私は人生お金の因果が付きまとい自身でもどうにもならぬほどしんどい事が多い、それは未だにあって難儀な事の連続である。

私は幼い時よりいろんな苦労(自身はあまり苦労とは思ってはいない)をしているがお金の苦労が圧倒的に多い、因果は明かさぬが自身はよく悟れているとは思っている、

が悟れたからとて簡単に解決するほど人生は甘くはない、痛みと苦しみを藻掻きながら繰り返すのである、それが因縁消滅の真実である。

しかし近来簡単には言えぬが精神的に追いつめられた期間が長くあった、今まで体験した事のない大変な時期でそれは一口には説明は出来ぬほどの日々であった。

その時にはお金の苦労から少し解放されている時期でもあったがその代わり大変な精神の苦しみを味わい肉体にも困難をきたすほどであった。

現在は又元に戻ってお金の苦しみを受けているが私が感じるにお金よりも精神的苦しみの方がどれだけ辛く厳しいかと言うことを嫌と言うほど知った、

日々お金では苦しんでいるがその代わりあの大変な精神の苦労は全くない その楽さは言葉では言い表せぬ開放感である。

当然それは私の場合であって人により違うのは当然である。両方ないのが良いに決まっているが人生はそうはいかん、お金から精神を追いつめられている場合もあるが私の言う精神の苦しみはそれではない、

だから一概にお金の苦労より精神の苦労の方が何倍も辛いとは断言はしない あくまで私は精神の解放の方が楽であるというだけの話しである。

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日々想念 Ver74

このような御仕事をさせていただいていると精神世界(取り分けて霊とその世界)と現実世界との距離が非常に狭くは感じる。

それは当然とは思うが一般人はそうやない、霊とその話などは特殊な世界のように感じている人が我が国では特に多い、

その誤った狭い観念をまずは糾さないといけない、霊魂の人生は肉体ではない、それは人生の一部であり全部ではない、

肉体とそれを脱ぎ捨てている人生とが存在している、それを正しく理解しなくてはいけない、即ち私は霊であり今は肉体を持っているが霊としての人生もある、

その選択のプロセスは神に委ねているが大概は死後即転生の例が圧倒的に多いようだ、繰り返し繰り返して霊魂は成長し自分の在処を発見していく それが現在の人生である。

理屈ではなく真実であり現実である。貴方は私はこうしている間にも肉体は死滅するかも知れぬ、なら貴方はどうするか それを少しは考えなくてはいけない

そうした真実を少しだけ相談者各位に御説明申し上げて御理解を願っている、それは宗教ではない 物事の真実である。森羅万象の真実とも言えるものである。

肉体が死滅したところで現在の苦しみや悲しみ痛みが即解放されるのではない、個々の意識やそれぞれの霊の持つ念により大きく左右されていく それが一番の肝心所である。

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年の瀬やな

まだ今年の反省なり総括をするには少しだけ早いのだがいよいよ押し迫ってきた。

私が子供の頃とは正月の雰囲気も様変わりしていて何か普通の一日と関わらぬような感じだが正月には違いない。

私も今年もだがここ三年は厳しい年になりよく生きていられたと感じている、因果とは言いながら人間の運気には翻弄される。

それは如何なる聖人でも同じである。人間である以上はな 正月と言っても反省や悔い改めの心は日々あらねばならぬが特に一年のけじめなのでよくよく自己を見つめて問い直していかなくてはならん

来年は寅年だそうで良い年になりそうな予感がしている 無論私のことではなく世の中のことである。私などは生涯良くないので生きているだけで大吉なので贅沢は言えぬ

政治は混迷するが大衆には大して関わりがない、経済は持ち直してようやく明るくなる、しかし人の悩みや苦しみは個々の人生により大きく違うので何とか善を施して心を養っていきたいものである。

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魂の真実

人間は自分を変えるのは非常に難しいという話

誰しも自分の性格はある程度自覚している、長所欠点は十分に分かってはいる、しかし事にあたるとどうしてもそれが出てしまう、それが因縁なのだがその欠点を修正するのは至難の業である。

宗教などに因って変えようとしてもそれは表面上が少し変わっただけで又真理を多少知り得たというだけで自分自身の中身は全く変わりがない、それが真実である。

それが三つ子の魂百までの喩えでもある。人間は輪廻転生しても大して性質は変わっている訳ではない、それは私は実証している。

その自分そのものが運命となり因果となって自分を支配している。なら本気で変えなくてはいけない が出来るほど簡単な話やない、否定ばっかりにはなるが事実なので仕方ない

綺麗事はいくらでも言える しかし実際人間は終生変わる事はない、それが人間である。魂の真実とでもいうべき事である。

なら幾ら心を学んでも無駄か いいやそれは違う、心の学びは今は実を結ばなくては必ず記録されて次の世に生かされる、だから根気よく自分を問い直して勉強しなくてはいけない、心の学びは目先にこだわってはいけない、

霊魂に記録していくのである、心の許容範囲を・・・自分を問い直した実績を・・

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様々な不思議現象についての考察

昨日の不思議現象のテレビについて少し私の見解を・・・

UFOは間違いなく存在している、それには自信がある。が何処から来ているか正体はと言われると分からぬ、あるいは神が仰せの通りとするなら未来の人類が時間と空間を自由に往航出来る技術を身につけてそれで来ているのかもな 

しかしそれは現実的ではないやはり他の星から飛来しているというのが正しいかなとは思う、今ひとつは霊世界からの飛来とも解釈出来る、何せ私はそれに乗った人間なので・・

霊の話はいつも私が申し上げている通りで別はない、あのような霊にならぬように生前から自分は霊である事を自覚し学ばなくてはいけない、又亡くなった方の御家族はしっかり追善をされている筈だがしかしあのようになっている事を見れば昨今の僧侶のいい加減さが表れているとも言える。無論家族の供養に対する心掛けの悪さは当然だが、

2012年の話は論外で言うべきで言葉はない、話としては面白いがこれも現実的ではない、地球は過去に何度も破壊されて再生している、それは間違いはないが次は随分と先の話であるので心配は断じてない、

超能力の話は確かな事と思える、しかしそれは100パーセントではない、それをテレビに出させて見世物にするという了見そのものが間違っている。人間の能力は未だに分かっていない部分が多く、超能力に関しても完全否定は出来るものではない、又全部信じられる事でもない、

第一昨日のいろんな方を集めての議論は面白くはあるが全く意味をなさない事で無駄の一言に尽きる、たまの編集長か何か知らぬがいい加減な話をしすぎるし人相そのものも全く信用には値いしない、

このような話は信じる者は信じればよく否定する者は否定すれば良いのであって議論すべき事ではない、馬鹿なことではある。視聴率稼ぎの所詮は短絡的な番組ではある。しかし中身の話は真実もありその内に確証を得られる事もあるであろう

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一つの道

人生で一つの事を続けるというのは非常に難しい事です、それは人生の目的と言うべきもので自分の道とも言えるものです。これは自身の回顧でもありますが・・・

これを生涯かけて通すというのは実に難しい事であると自身がつくづくと感じています。人によってはそれは所詮は自己満足に過ぎないとか自我の固まりとか言われています。

しかし一つの事を通して生きているので今更変更は出来ないしする気は毛頭ありません、その目的は達成か不達成かは問題ではなく如何にその意志に因って生きたかと言うことであると私は思っています。

しかし人には多くの人や家族に散々迷惑かけて通す事やないやろ と言われています。そらそうです。結構無茶していますから無理はありません。

私の場合は目的と言うよりは導きによりこうなっているというのが正しいかも知れません。大きな歯車に乗って生きているという感じがしています。

あらゆる犠牲を伴って今日があり気がつけば誰も側には居ないというのが現実の様(さま)ですが後悔は全くありません。反省は常にあり日々苦しい想念との闘いでもある人生です。

導きと言えば聞こえは良いのですがそれがいつしか自分の信念となり血となり肉となっているようです。

自分も良く周囲の人も良く納得し幸せに一つの道を通せれば何も言うことはないのですが私は不徳でしかも所行が悪い人間ですから現在の状況は当然の結果であるとも言えます。

人生はあっと言う間です。何が目的の人生か、生涯をかけて一つの道を究めてみるのも悪くはありませんよ 無論私のようなはちゃめちゃではいけませんが・・・

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