精神世界

人生相談

現代人は精神貧困である

いつも申し上げているが現代人は精神が貧困で実に貧しい 悲しいほど貧しくもある、いろんな原因でそのようになってはいるが一番は物質の豊かさと苦労のなさが原因であろう

親や祖父祖母の時代には考えられぬ豊かさで生活に困っているという人でも食べられなくて死ぬということはない、つまりは贅沢病であり何も不自由がない為でもある。

人間は環境に順応する生き物であり状況により心も性格も合わせて生きている、自己中や利己主義が蔓延しているのもその為であり鬱病や自殺者が多いのも自分さえ良ければの精神が原因である。

昔の人は言った 苦労は買ってでもしろと それは心と精神を広くし周りを気遣う心を養う為でもある。人は一人では生きてはいけない、いろんな人々と関わり生きている、それを現実に知り自らを修正していくのが人生の一つの勉強項目である。

今の生きている事の尊さと感謝と喜びの心がない 有り難いという気持ちがない 愚痴や不足 怒る心とが支配している。それは現代病でもあるが太古の昔からの人間の常でもある。

その為に人は宗教に入り少しでも学ぼうとし安心を得ようとする。しかし現代は自己主張の時代であり周りに縋るという心がない よって孤立している人間が実に多い で鬱になり自殺となる、

精神を心を豊かに広くするには小さな自分を発見し物事の考え方や捉え方の貧しさを知らねばならん それから始まりである。難しい理屈ではない 物事の道理を知りなさいということです。

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真の供養とは・・・

今日から16日までは関西地方ではお盆になる、この時期はお寺さんは稼ぎ時で私も若いときに運転手でお手伝いをしたもんや

あんな(私が信仰していたお寺)馬鹿な僧侶でもお経を唱えれば追善が出来ていると信者さんは思っていて有り難いと自己満足している。目出度いなと思わざるを得ない

当時はそれでいいのかなと疑問はあったが今では真実世界の様を知り霊の実体を少しは知っているのでその馬鹿げた様子は何の意味も成さないのはよく分かる、

追善供養と言っても出来ていると言う証拠がないのであるから僧侶の言葉を信じるしか信者は救いがないのである。それも目出度いと言わざるを得ない

それで供養が出来ていると思っている人には別にそれでいいが 私のように前線で活動している者にとって追善や霊の救いは現実と直結し解決や助けにならなくては何の意味もないのである。

真の供養が出来れば感応があり何らかの具体的な証拠が生じるものなのである、それをあてに供養はしてはいけないが私はプロなので敢えてそれが原因と考えれば必死で霊を救い導く それで少しでも良くなって頂けるなれば

しかしいきなり追善や浄めをしたからとて良くなるほど因果は甘くはない、厳正で厳粛な摂理である。しかしながらその道筋を立てるのが我が努めでもある。

何の意味もない供養をして自己満足している人々には理解不能ではあるだろうが 現にこの時期は霊は集まり供養を欲しがっているので私は忙しいし身体は持たない状態である、それが現実であり証明である。

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この世の常識はあの世の非常識・・

私はいつも申し上げる、この世の常識はあの世の非常識でありあの世の常識はこの世の非常識である と

それを仏陀は転倒の衆生と呼ばれた、何事も真実は一般の感覚とは逆が多いという真理である。

難しい小理屈を言うつもりはないが昨今の事件や個々の悩みや苦しみはこうした真実とはかけ離れた感覚のずれが生じている事が多くある。

個人はそれぞれ自分の考えや心、又は性格で物事を決断し動いていると錯覚している、しかもそれは育った環境や教育、親からの継承のみで動いていると錯覚している。

しかしである、自分の考えだと思っていても実は霊が入り込み決めさせたり過去からの因果律で決めさせたりしている。その確率は実に七割にも及ぶ、

一般人は真実世界に関しては否定やあるいは無視や無知であるのでそうした事実を認識していない、あくまで自分の考えや心で性格で決めていると思っている。しかしそれが根本から間違っているのである。

貴方や一般の人間の常識は真実世界の常識ではない、長い航海の歴史から今日の人生があり一つの目的からの道すがらである 現在は・・

貴方が現在の考えや心をより広く深く学べば真実が見えてきて今の自分の置かれた立場が理解出来るし何をしに生まれているかも知れるのである。

常識からの逸脱は時として必要でありそれは特に心と性格に必要である。貴方がいつもこうだ と信じている事が真実世界から観れば根底から間違っているということである。

真実を得ようとすれば心を平坦にし謙虚に素直にならなければ得られるものではない、それは現代人にとっては至難の技ではある。

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病気と心と精神の因果関係について

私の相談依頼者の中には病気で不安にかられて難儀していられる方もいる、病院にはかかってはいるがそれでも人は病気になると気が弱くなるので助けを求めるものである。

医者は病気と心と精神の因果関係はないという医者が多い、 馬鹿かお前等はそんな訳ないやろが と私は言う

人間の身体は精細で生物であり非常に潰れやすく出来ている、細胞の一つ一つから成り立っている それが肉体や その細胞の一つ一つは心や精神の影響をもろにうけていろんな障害を起こしていくんや

それが過去からの因果と絡んで弱い部分の細胞に影響を出して病気に発展していくんや 当然病気には善なる病気と悪なる病気とがある、

善なる病気とは文字通り自身の勉強と悟りの必要がある為の進化の為の病気であり霊的進化の必要悪とでも言うべきものである、が悪なる病気とは心や精神の間違いや行為の欠落や因縁消滅や過去からの清算のみの病気であり霊障でもある。

殆どは後者だが・・相談者には申し上げている あんたな普段の心掛けや性格の間違い心の有り様に問題があるんやと 夫婦喧嘩や親子喧嘩、人に怒ったり愚痴ったり不安や心配ばっかりしたり イライラしたり落ち込んだりすると必ず身体に影響はあるわな

物事は感謝せなあかんよ 喜ばんとな 何事も希望を持たないとな 楽天家になりやと なれば病気はしないよ 心をゆっくりし豊かになるように心掛けると身体から発している霊気が強くなるのが私にはよく分かる、

それほど病気と心と精神の因果関係はつよいんや 現代の医者は学問ばっかりで解決しようとするからぼんくらになるんや 勉強しいや 医者諸君! 

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霊に憑かれるとはどういうことか・・・

霊に憑かれるとはどのような症状か 再投稿して確認してみようか

大層な症状は余程でないと現れないので注意を要する、人は何らかの持病があり頭や胃腸や足腰の痛みなどは誰でもある。

霊に憑かれやすい場所とは人が多く集まる場所、ショッピングセンターとか映画館とか神社仏閣も入るな  地上の霊は寂しく又いろんな念を持続している為に地上に留まっている、

その為に人に憑きその念を晴らそうとしている。人の身体に憑くと自分が楽になるので憑く、霊に憑かれるとドン!と衝撃があったり急に身体が重くなったり頭が痛くなったりすると要注意やな

人とすれ違っただけでも憑かれる場合も多々ある、それから事故の現場を通るだけでも憑かれる事もある。

地上霊はいろんな人間の身体を求めている、その為に俳諧している、病院などはその最たるもので霊に憑かれないほうが不思議とさえ言える、

では霊に憑かれないようにするには?

ないなそんな方法は・・・

霊は自由やからな ましてや団体で動く霊の集団に憑かれると何処かの宗教に勧誘されて入らされるよ 現実の証明を見さされてな 

過去からの御先祖の御霊のお祀りをしっかりとしていれば霊に憑かれる危険は殆どない が残念ながら近頃ではそんな人は居ないので正に霊の自由のままではあるな

気をつけや 身体の内部に入られると処置なしになるよ

 

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心が貧しく冷たいと・・・

私も人の事は偉そうには言えないが昨今は実に心の範囲の狭い人間が多いようやな 何かと言えば直ぐにキレたり落ちたりする。

怒ったり自己本位に流れたり、ご都合主義で身勝手な常識知らずが非常に多い、当然地域性もあり一概にこうやと決めつけるのは危険だが・・

私が言うのは特に都会の住人である、殺伐としていて了見が狭い、自分の尺度しか物事を考えられない、気が短くて受容範囲の狭さや小ささはほんまに言葉では言い尽くせないほどや

何事も自分の都合で考えて行動するので周りの気持ちや心を平気で踏みにじる、お金には汚く吝嗇家が大半である。

文句ではなく真実である。我が身に照らせるとよい、子供を親の都合や希望を押しつけたりしてないか 貴方は・・

仕事は何の基準で選んでいるのか貴方は・・家族を愛しているか・・御先祖のお祀りや神棚はあるか・・優しさや思いやりはあるか貴方は・・欲得でしか物事を考えていないか貴方は・・

いろんな物事の判断の基準は貴方の心の内にある、その心が貧しいと結果は当然の帰結にはなる、心が寒くて冷たいと又当然の結果を見る事になる。

心はすべての行方を左右させる重大な存在である。その心を正しくする為には真の信仰心が絶対に不可欠である。それが貴方から貧しさを解放する。

ではどうするのか真の信仰心を得るには・・それをお教え申し上げるのが私の努めである、説教ではなく現実の問題を通して勉強をしていくのである。

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盆の間は・・・

先に申し上げた如く 現在は盂蘭盆であり八月は旧盆になり多くの会社が休みとなり又民族大移動が始まる、

田舎に帰省し墓参に行かれるのは大いに結構であり喜ばしいことである。が海外や供養とは何ら関係ない動きをされる方が実際は大半であろう、

難しい理屈を言うつもりは更々ないが何の為の盆であるかたまには考えなくてはいけない、子供にその風習を見せるも教育であり現実の教えでもある。

代々の伝えられている家系の約束事は子孫たる者は最低限果たさなくてはいけない、それすら忘却している輩が昨今は多い、

自分の都合でしか物事を考えないのは困ったものである、実に了見が狭く何をしに生まれて来たのか さっぱりわからん、近く自分も御先祖の御霊の仲間入りするのである。

盆は追善こそ大事でありその為の休みであることを知らねばならない、盆は御先祖の御霊が帰宅されている、誰も居ないでどうするんやな

この時期は畜生でも救われるという期間である。全ての生ある命を追善しなくてはならない、ましてや釣りや殺生事はとはなんぞや となる、古いな! やなく当たり前の常識である。

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所謂メール人格について

私は人と対話して話をしたり伺ったりするのが努めであり仕事である。が 昨今携帯でのメールが大流行で誰しも最初はメールにて対話を余儀なくされる。

それは私にとり非常に不都合な事で文字そのものが文章そのものが大の苦手なので上手く表現が出来ない、そして誤解をしょっちゅう与えている。 

メールは話さなくて済む便利なものだが反面幾らでも偽ってというか飾って話せる厄介な代物でもある。

所謂メール人格である。これには私は散々な目に遭っているので実に信用し難いといつも相談者の方にはメールは連絡程度にお願いしている。

言葉や本音を隠して飾れたり偽ったりが平気で出来るので相手が見えない 危ない危険な道具でもある。昨今出会い系サイトでの事件もあったように間違いを産みやすい実に危険な道具である。

便利はイコール不便とも言う メールで連絡頂けると霊まで来るので浄めはさせて頂くが当方はぐったりする。疲れるのであるメールは・・・

しかしメールをよくよく吟味して読めば本音がちらちらしているので人間性は出ているので全く役に立たないわけではない、

しかしメールでの人間性と現実の人間性の大きく違うのだけは如何ともし難い、害毒以外の何物でもない、それとメールをしても無視したり返事すらしない輩も結構いててこれは常識なのだがこれもモラル欠如社会の軋轢か・・・

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心と精神を強くあれ・・・

今年は長梅雨で何かと鬱陶しいがこれもなくてはならない必然なので感謝しなくてはいけない、もっとも被害に遭われていられる方には申し訳ないが・・・

仏教の世界には大難は小難に小難は無難にという話がある。信仰していればそうなるという説教だが これも一種の洗脳であり催眠である。

宗教そのものがそうしたマジックのようなものであり人の心や考え方や性格を教えにて変える要素があるのでそうした話も通用する。

昔は唱名を唱えるだけで極楽往生するとかの催眠宗教で人をまやかして多くの犠牲者をだした、現代はそれから何百年と経っているが変わったかな・・

全然変わってない、題目を唱えるだけで大難は・・・となる、何処が違っているのか 進化していないな人間は、それだけ人の不安や心配、苦しさの状態には変わりがないということであろう

罪はないな と思う、心の持ち方や考え方、普段の性格の改善などにより大きく人生が変化していくというのは真実である。がそれは別に宗教でなくても出来るし宗教そのものの功徳でも何でもない、

何かと言えば徳のお陰とか宗教に入っているお陰とかで人を先導して広めていくそれが宗教なのだが・・

昨今の人間は先の投稿でも言ったように精神が非常に脆い、壊れやすい心をしているしキレやすい心をしている、それは過去の歴史から言っても現在の人間が一番精神が脆いと感じる。

それを宗教に走ってしまうことは仕方ない事だが親からして貧しく脆いので子供が逞しい訳がない、

現代人は何よりも精神と心を学ばなくてはいけない、自分の内なる敵と闘わなくてはいけない、逃げてばっかりではやがて身は滅ぶ

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心と精神を強くあれ・・・

今年は長梅雨で何かと鬱陶しいがこれもなくてはならない必然なので感謝しなくてはいけない、もっとも被害に遭われていられる方には申し訳ないが・・・

仏教の世界には大難は小難に小難は無難にという話がある。信仰していればそうなるという説教だが これも一種の洗脳であり催眠である。

宗教そのものがそうしたマジックのようなものであり人の心や考え方や性格を教えにて変える要素があるのでそうした話も通用する。

昔は唱名を唱えるだけで極楽往生するとかの催眠宗教で人をまやかして多くの犠牲者をだした、現代はそれから何百年と経っているが変わったかな・・

全然変わってない、題目を唱えるだけで大難は・・・となる、何処が違っているのか 進化していないな人間は、それだけ人の不安や心配、苦しさの状態には変わりがないということであろう

罪はないな と思う、心の持ち方や考え方、普段の性格の改善などにより大きく人生が変化していくというのは真実である。がそれは別に宗教でなくても出来るし宗教そのものの功徳でも何でもない、

何かと言えば徳のお陰とか宗教に入っているお陰とかで人を先導して広めていくそれが宗教なのだが・・

昨今の人間は先の投稿でも言ったように精神が非常に脆い、壊れやすい心をしているしキレやすい心をしている、それは過去の歴史から言っても現在の人間が一番精神が脆いと感じる。

それを宗教に走ってしまうことは仕方ない事だが親からして貧しく脆いので子供が逞しい訳がない、

現代人は何よりも精神と心を学ばなくてはいけない、自分の内なる敵と闘わなくてはいけない、逃げてばっかりではやがて身は滅ぶ

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